全国すべての市を制覇する旅に出た猫

日本にはたくさんの魅力ある市があるにもかかわらず、なかなか探訪する機会がないので、コツコツ全国の市に訪問してみようと思いました。このブログはそんな訪問の記録。

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日本人のパネル好きも地名に原因?

昔は今ほど交通機関も情報通信手段も発達していなかったから、人々があちこちに移動したり、余所のことを気軽に調べることもなかっただろう。

それゆえ、余所と地名がかぶっても普通の人が混同して困ることもあまりなかったと思われる。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

だからこそ、かつては日本各地に同じ地名があったのであり、それで困るわけでもないから、誰も気にしなかったのである。

 

江戸時代には、駿府甲府もともに府中であった(八幡和郎『日本史が面白くなる「地名」の秘密』176ページ)。

 

日本史が面白くなる「地名」の秘密 (歴史新書)

日本史が面白くなる「地名」の秘密 (歴史新書)

 

 

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さらに言えば同名だけでなく、同音の地名まで含めればさらにその数は増える。現代でも同音地名はいくつもある(同上、183ページ)。

 

みよし:三次市(広島)、三好市(徳島)、みよし市(愛知)

いずみ:出水市(鹿児島)、和泉市(大阪)

かしま:鹿嶋市(茨城)、鹿島市(佐賀)

こうなん:江南市(愛知)、香南市(高知)

こが:古河市(茨城)、古賀市(福岡)

さかい:堺市(大阪)、坂井市(福井)

さくら:佐倉市(千葉)、さくら市(栃木)

だて:伊達市(北海道、福島)

つしま:津島市(愛知)、対馬市(長崎)

ふちゅう:府中市(広島、東京)

ほくと:北杜市(山梨)、北斗市(北海道)

やまがた:山形市(山形)、山県市(岐阜)

 

余所のことを気にせずに済んだ昔はよい。でも、人々の移動が活発化し、余所の情報も気軽に知られるようになると、同名同音地名はけっこう紛らわしいことになる。

 

実際、同名のせいでとんでもない勘違いが起きた。

江戸時代、出雲松江藩主であった堀尾忠晴は、1632年に幕府から丹波亀山城京都府亀岡市)の天守閣を解体するよう命令されたが、堀尾さんは今の三重県亀山市、かつての伊勢の亀山城天守閣を解体してしまったらしい。

 

丹波の地元の人なら亀山といえば、丹波亀山城しか知らなかったであろうから、解体する天守閣を間違えるようなことはなかっただろう。しかし、堀尾忠晴は不幸にして他にも亀山城があることを知っていた。昔は伊勢の亀山城のほうが有名だったのかもしれないとも思ったりもしたが、ウィキペディアを見る限り、丹波亀山城明智光秀の居城だったのであり、なかなか知名度がありそうな城である。伊勢の亀山城天守閣が解体されてもおかしくない伏線があったのだろうか?それとも単に堀尾忠晴がそそっかしいだけだったのか。

 

亀山城 (丹波国) - Wikipedia

亀山城 (伊勢国) - Wikipedia

 

堀尾忠晴は出雲松江藩主だったというから、それなら丹波亀山城のほうが近いわけで、なぜに素直に近いほうの城だと思わなかったのか?松江藩主に伊勢亀山城の工事を依頼するのはおかしいと思わなかったのか?もちろん、江戸時代では大名に城の造営などをさせられていたわけだから、遠方の城の工事を依頼されるのは当時としてはさほど珍しくなかったのかもしれないが。

 

とはいえ、なんにせよ知っていたがゆえに、堀尾忠晴は間違えて別の天守閣を壊してしまったわけだ。

 

間違いに気づいたときのからの心中はいかに。

 

第二第三の堀尾忠晴を生まないにはどうすべきか?

 

それはすなわち文字で書くことだ。文字であれば同音の問題は解決され、同名であっても会話自体を文字化すれば勘違いは避けられる。

 

社会人になると要件はメモするように習うが、日本の地名や人名が間違えやすい特質があるからこそなおさらメモの重要性が強調されるのやもしれない。

 

テロップの氾濫はテレビ業界が浮ついているからではなく、そうしないと間違えやすいからだった。 

 

そもそも日本語というのは、同音異字が非常に多い言葉です。とくに固有名詞で顕著です。外国人が日本のテレビのニュース番組を見て不思議がるのは、やたらとパネルや字幕が多いことなのですが、これも、地名や人名を画面上、漢字で見せないと耳で聞くだけでは理解しにくいからです(同上183-184ページ)

 

地名のわかりにくさがテロップを必要としたというのはこれまで知らなかったが、言われてみれば確かにと納得できることである。

 

ならば、まぎらわしくて間違えるリスクが高い日本語を止めるという手もある。漢字、ひらがな、カタカナというまったく異なる文字を使い分けるというのは世界的にも珍しい言語である。

だが、さまざまな表現方法が可能なところが日本語の良さであり、われわれの気持ちの機微を伝えるのに最善の言語でもあるのだろう。

同音異字などは利便性の観点からは何のメリットもないことだが、それでもその地名を譲ることはできないのは、やはり地名は識別性という面に加えて、その場所の歴史や人々の思い入れが込められているからなのだろう。

 

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識別性+愛=珍地名??

 

地名とは何か

 「地名とはそもそも何であるかというと、要するに二人以上の人の間に共同に使用せらるる符号である」(柳田國男『地名の研究』17ページ)

 

 

地名の研究 (講談社学術文庫)

地名の研究 (講談社学術文庫)

 

 

では、その符号はいかなる基準によって決定されるのか?

 

地名は我々が生活上の必要に基いてできたものであるからには、必ず一つの意味をもち、それがまた当該土地の事情性質を、少なくともできた当座には、言い表していただろうという推測である。官吏や領主の個人的決定によって、通用を強いられた場合は別だが、普通にはたとえ誰から言い始めても、他の多数者が同意をしてくれなければ地名にはならない。(中略)よほど適切に他と区別し得るだけの、特徴が捉えられているはずである(75ページ)

 

 

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性器と地名ときりたんぽ

そう、地名には他と区別できる識別性が必要であり、その識別性を用いることへの他者の明示的、暗黙的な同意が必要である。

 

よほどの権力者でない限り、自分勝手な思いつきで地名を決めることはできない。今日の九州の福岡市にゆかりの地の福岡(今日の兵庫県)の名を黒田長政が付けられたのは、彼が殿様だったからに他ならない。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

地名命名の基準も様々で、女性器を語源とする地名さえある。

 

昔の人の感情は驚くべく粗大であった。羞恥と言う言葉の定義が輸入道徳によって変更されらたまでは、男女ともにおのおのその隠し所の名を高い声で呼んでいたらしい。しこうしてその痕跡を留めているいる地名のごときは、よほど起源の古いものと見てよろしいのである。これも海岸において往々遭遇するフトまたはフットと言う地名は、疑いもなくホドすなわち陰部と同じ語である(162ページ)

 

該当する地名としては、富土、風土、富津、布都、保土ヶ谷などが挙げられる。

 

「サヨナラ、きりたんぽ」は炎上の末、タイトル変更の憂き目にあったが、日本各地にはきりたんぽどころではなく、露骨に性器から名前を付けてしまった地名がある。

 

性器を連想させる名前は下品で、きりたんぽへの冒涜というのが「サヨナラ、きりたんぽ」への苦情の主たる理由だが、性器を連想させる名前はけしからんという意見は、そのまま保土ヶ谷への挑戦状であるともいえる(いや、いえないか)。

 

もっとも古代は陰部を下品なイメージでは捉えていなかったのかもしれない。古事記に載るオオゲツヒメ大宜都比売)は尻から食材を出す。それが汚いとしてスサノオに殺害されてしまうわけだが、彼女の陰部からは麦が、尻からは大豆が生まれたわけで、汚いというイメージもあった一方、生命や豊穣をイメージさせる場所でもあったのだ。実際、新たな生命を生み出す器官である。

 

オオゲツヒメ - Wikipedia

 

時代が変われば、考え方も変わる。

 

 

さて、それはさておき。。。

 

今日の新地名命名がモメるのは日本が民主主義国になったことの証左ともいえる。地域の実情を無視して珍地名を付けようとすれば、住民はおろか、日本各地から非難の嵐となる。かかわるアクターが増えれば、それだけ多数の意見がぶつかるから命名プロセスも複雑化するだろう。

 

民主主義でなくても、地名の決定は大変だったにちがいない。急いで決めなければならないこともあったろう。朝廷が、幕府が、大名が、守護が、地頭が、領主様が、御意見番が、なんらかの決まりをつくったり、領地争いを調停しなければならなかったとする。明確な地名がすでに存在してればよい。しかし、そうでなければ、その場で決めなければならないかもしれず、そうしたら、複雑な名前を付けるのは無理で、すでにある地名に東西南北や大中小、上中下、数字をエイやっと追加して名付けてしまったこともあるだろう。争いがあれば、円満解決のため、あえて縁起のかついで瑞祥地名をつけたこともあったやもしれない。

 

知識の向上と愛は珍地名を生む?

知識や参考にできる情報が増えればそれだけ新たな地名が増えると思われる。最近ユニークな珍地名が出てくるのは、昔と違って、われわれは多くの情報を収集し、それを理解できるだけの能力と手段を得たからではないだろうか。

 

昔の人は読み書きそろばんができない人も多く、テレビやインターネットもなかったから、興味関心は日常の生活空間に限られた。一部の知識層を除けば、古代・中世・近代の一般の人々は海外でどういった地名があるとは知らなかったから、当然に海外地名を参考にして自分の住む地域の名前を付けることはできなかった。海外どころか日本国内であっても、たとえば江戸時代であれば、一般の人が他藩の地名を知る機会はあまりなかったし、そうする動機も必要性もなかったであろう。

 

生活空間内での識別性で十分であれば、他藩と同じ地名がかぶったとしても困らない。多くの地域住民が地域外に移動することがないのであれば、他藩で同名地名があろうと、地域内での識別性さえ担保されていれば十分だ。多くの人は他藩に同じ地名があるとは知らないまま、そしてそれで困らないまま生涯を終えるのである。

 

でも今は違う。誰もがほとんどコストをかけることなく他の都道府県でどのような地名があるかを知ることができる。市町村合併で新地名を付けたいと思っても、他県に同じ地名があれば、後発組がその名を採用することは難しい。

 

それに今では多くの人が外来語を知ることも理解することもできる。参考にできる情報が増えれば、それを応用してみたいと思うのが人情である。しかも外来語のほうがかっこいいとされている。地名に取り入れてみたいと考える人が現れるのは当然だ。

 

他県の動向を知ることができれば、そこに競争も生まれよう。あそこの県がユニークな名前をつけた、じゃあ、うちも負けずに!というわけだ。

 

参照できる基準が増えたことが現在の珍地名ブームの背景にあると思う(キラキラネームも同様のメカニズムだろう)。

 

地名を軽視しているから、変な地名をつけるわけではない。他とは違う立派な名前をつけたいと気張るからこそ、意図せずして変な地名が生まれるのだ。他を知ってしまった以上、生半可な名前はつけたくない。地域を愛しているからこその暴走なのだ。

 

知らなければよかったのかもしれない。知らなければ王道の名前をつけたのかもしれない。知らぬが仏とはよく言ったものである(ちょっと意味は違うが)。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

あまりに地域の歴史や実情にそぐわない名前をつけると、滑稽に思われたり、どこの地域を指してるかわからなくなり利便性が損なわれたりするから、地名の命名は慎重に行うべきだ。

 

とはいえ、他に地域の動向を知れば知るほど、うちも負けずに!という気持ちは何やらとても人間的で微笑ましくもある。いつの時代だって、縁起や個性は大事にされたハズだ。かつてであれば、それが当時の先進地域であった中国の地名や故事、「ホド」のように人間の生命力をイメージさせるものだったのであり、他県や他国のことを知ることができるようになった今日では、それが欧米の言語や新奇性を狙ったものになったのではなかろうか。

 

他と識別する、いや、他と識別したいという熱い想いが地名命名の根源的なエネルギーなのだろう。そして時として、愛は悲劇的な結末を迎えるのである。

 

 

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地図を使う?それとも使わない?ー大沼一雄『地図のない旅なんて!』ー

どのような旅を理想とするか。大いに意見がわれそうだ。

 

まず大きく、事前に綿密に計画して旅に臨むか、それとも計画を立てずに気の向くままにその場その場で行き先を決めるかでわかれよう。

 

事前計画派はそのほうが訪れるべき価値ある場所を効率的に回れると言うだろう。事前にしっかり調べておけば、後で、あ〜、あそこも行っておけばよかった〜みたいな後悔は避けられる。

 

他方、気の向くまま派であれば、当てもなくふらふらしたほうが偶然の出会いやガイドブックに載っていない自分なりの発見や気づきを得られると言うだろう。ガイドブックやネットで手垢のついている場所に行くなんておもしろくないじゃんって人もいるかもしれない。

 

事前にどこまで計画を立てたり資料を読んだりして準備をするか、はたまた極力そういった手順は省いて現地での直感を頼るか、意見は分かれよう。

 

今回読んだ『地図のない旅なんて!』の著者、大沼一雄氏はどちらかといえば前者のタイプと思われる。

 

地図のない旅なんて!―地図を読んで旅を二倍楽しむ

地図のない旅なんて!―地図を読んで旅を二倍楽しむ

 

 著書のタイトルのとおり、本書は地図を利用した旅の楽しさをお薦めする本である。

 

大沼氏は旅行会社のパンフレットに従う旅行は「"作られた観光地"というのは、既製服みたいなもので新鮮味がなく、私はあまり利用しないと」として、自分なりの楽しみ方で旅行することを薦めている(3頁)。

 

では、行き当たりばったりの旅がいいかといえばそうでもない。筆者は旅先は地図で見つけ、そして行き先が見つかったら、「徹底的に地図を読む。」

 

宿は現地に着いてから決めたり、乗り物は使わずひたすら歩いたほうが思いがけない出会いがあったり、素晴らしい被写体に出会ったりするとは言うが(4ー5頁)、「実り多い旅には周到な準備が必要だ」と強調する(Part One 第3章)。

 

むしろ、ガイドブックなんかよりも市町村史で情報収集をするというのだから、よほどガチの事前準備派といえそうだ。

 

市町村史まで読むかは別にして、確かに地図は旅の入り口としてちょうどいいかもしれない。

 

地図記号を覚えたりと、読み解くには一定の基礎知識は必要だが、地図には何がどこにあるとか、地形がどうだとか、膨大な情報が詰め込まれている一方で、写真や映像があるわけではないから、そこがどういった質感でとか、どういった色彩でといったとりわけ触覚や視覚面の情報については、実際に現地に行ってみないことにはわからない(もっとも今ではグーグルマップのストリートビューがあるから、地図からそこの映像を入手できてしまうのだが。筆者もそんな時代が来ようとは執筆時には想像できなかったろう)。

 

ガイドブックだとキレイな写真が掲載されているから、現地に着いたときにガイドブックの情報の裏付け確認みたいな気分になってしまう面がある。その点地図は適度に行ってみなければ分からない情報を残してくれる。その絶妙なサジ加減が地図の魅力かもしれない。

 

筆者は小中学校の頃から地図に親しみ、地理の先生だっというから、同じレベルでわれわれ一般人が地図を読むのは、能力的にも時間的にも難しいだろう。市町村史まで読んでいたら、旅に出るまでに何年もかかりそうだ。

 

とはいえ、あえて地図を広げてみれば、リアルの書店に行って、自分の目的の本を買おうとしたら、類書や話題の新刊が平積みされていて、さらに読みたい本が見つかるといった感じで、派生的に行きたい場所や興味深い場所が見つかるかもしれない。

 

地図というのは活字の小説のようなものだ。活字の本には画像やイラストといった想像の手助けをしてくれる材料が一部を除けば基本的にない。だが、それゆえに活字の描写をもとに自分の頭の中で自由にイメージできる。活字を原作にしたドラマや映画が自分の想像していた世界よりもだいぶ貧弱でがっかりしたなんて経験は誰しも持っているのではなかろうか。それだけ人間の想像力とは素晴らしい。

 

実際に訪れた土地が地図でイメージした世界よりも良かった悪かった、同じだった、かなり違ってたなんて思いを馳せながら、現地を探訪するのはきっと味わい深いことだろう。

 

地図といっても、最近はグーグルマップだからストリートビューは見れるし、ルート検索までしてくれる。だが、旅とは非日常なのだから、普段使いのグーグルマップは一旦脇に置いて、古典的な地図の旅を楽しむなんてのも一興だ。

越谷市

今回降り立ったのは東武伊勢崎線越谷駅である。

 

どこに行くか決めるにあたり、美味しいラーメンを食べようと思い、検索して目星をつけたのが、ここ越谷駅にある「こむぎ」というお店だったのである。

 

食べログ「こむぎ」

https://tabelog.com/saitama/A1102/A110203/11033568/

 

駅前は高層マンションが建ち、スーパーやドラッグストアなど基本的なお店がなんでもそろう生活圏として便利な印象だ。 

 

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目指すラーメン屋は駅から徒歩5分程度、元荒川に近い。

 

ラーメン屋に向かって歩いてみると、駅前こそ再開発された雰囲気だが、今川焼きっぽいお菓子を売るお店や人形店があったりと、歴史を感じさせるお店もちらほら。 

越谷には日光街道の宿場もあったというから、こうした歴史がありそうなお店があるのは不思議ではないのかもしれない。

 

越谷の歴史 解説と写真(古代〜近代) 越谷市公式ホームページ

 

由来は下記のとおりで、確かに平らな低地といった感じだ。

 

市名となっている越谷とは、以前は越ヶ谷と表記されていたが、これは『越の谷』という意味であり、『こし』とは『山地は丘陵地の麓付近』の意であり、『谷』は『低地』の意ではないかといわれています。これは『大宮台地の麓にある低地』を指す地名だとの推測がたてられている。

 

www.aiai-fs.jp

 

越谷市は人口が30万人を超える大都市だ。今回は越谷駅から北越谷駅、そして新越谷駅まで歩いたのだが、新越谷駅もなかなかに開けていて、越谷市の人口の多さが垣間見れる。

 

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越谷駅の駅前

 

 

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新越谷駅の駅前

 

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↑太郎焼というお菓子を発見。ラーメン食べた後に買うとしよう^ ^

 

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↑植木屋という名の人形店

 

お目当てのこむぎに着いたのは13時前。店外に2名の待ち客。あとで気づいたが、なかにも待つための席があり、到着したときは6名前後の待ち客といったところか。

 

今日は気温10度程度と冷える日だったが、これくらいの行列ならさほど待たずに済むだろう。迷うのことなく行列の最後尾に並ぶ。

 

すでに特製つけ麺は品切れ。もとより今日はつけ麺を食べる気はなかったが、1番に売り切れるってことは人気メニューなのだろう。

 

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10分ほど待って、店内入店、食券購入。

 

注文は塩味玉中華そばと塩チャーシューの追加。

醤油はにほんいち醤油のかえしとの説明書きが席にあり、もしや醤油のほうがよかった?と若干気持ちがゆらぐ。

 

さらに待つこと5分で席に着く。ほどなくラーメン登場。

 

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まずはスープを一口。さほどのインパクトはない。まぁ、塩ってあっさりしててインパクトはないよね、って軽く塩をディスるw

 

しかし、この評価は軽率の誹りを免れないものであったろう。

というのも、もう一口スープをすすれば、およっ、魚介の風味が、特に海老の香りがふわっときたぞ、さらにもう一口すすれば、むむむ、こいつは、、、めっちゃ美味いじゃないかぁ!!と、完全にこむぎの塩ラーメンの虜になってしまったからだ。

 

あっさりしているには違いない。しかし、旨味がしっかりつまっているのだ。魚介旨味ラーメンを食べているようだ。塩は藻塩を使用。もっとも私の浅い知識とバカ舌では藻塩にするとどういう効果があるのか全くわからないのだがw、塩のキレというよりはむしろまろやかな感じで、それゆえデリケートな旨味を殺すことなく、旨味を下から支えているような気がする。

 

付言すれば、チャーシューも噛めば噛むほどなかからうまみが出てくるような美味しさであった。

 

半分ほど食べたところで机上の「フルーツ酢」をかけてみよ、と言う。言われたとおりかけてみるが、これまたすごい。ちゃんと旨味を残しつつ味が変化する。全体が何か統合されたような感じだ。すっぱいという感じはない。フルーツ酢ってすごい発想だ。それとも私が知らないだけで、塩ラーメン界では意外にあるものなのか?

 

塩ってなんか物足りないんだよねって思ってしまって、醤油、味噌、豚骨、塩の定番の中ではやや敬遠気味だったが、こむぎの旨味全開塩ラーメンは自分の中ではかなり鮮烈な衝撃を与えるものであった。

 

店を出て、来た道を戻る。太郎焼を買うためにである。

見た感じは今川焼きに近い。玉子とハチミツが入っていて、特許を取得しているとのこと。どの部分で特許を申請したのだろうか。

 

特許太郎焼本舗 古川製作所furukawaexe TAROUYAKI form

 

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↑元荒川で太郎焼を食べる

 

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↑肝心の太郎焼がぼけてるw あんこはたっぷり甘さ控えめ。 

 

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太郎焼を元荒川を散歩しながら食べる。子供の声や鳥の声が時折聞こえる程度で、静かで癒される。ビルもないから空が広い。今日は曇り気味の天気だったが、それでも十分に気持ちが良い。

私は以前足立区に住んでいて、荒川沿いをよく自転車で走っていたが、荒川ほどに人がいない。たまにすれ違う程度である。荒川沿いのサイクリングも気持ちよかったが、こちらのほうがのどかで落ち着ける。

 

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↑ 最近はこんな工事関連器具があるのか。

 

おそらく上流方面だとは思うが、しばらく歩くと神社と寺を発見。まさに隣同士だ。こんなにそばで競合しないのだろうか。

神社は久伊豆神社。お寺は天嶽寺。越谷の「谷」という地名が示すとおり、基本的に低地のはずのこの地域でなぜに「嶽」という文字が使われているのだろうか?

 

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という謎を出しておきながら、進んだのは久伊豆神社のほう(⌒-⌒; )

天嶽寺も寄ればよかったのだが、神社で参拝を終えたときには完全に天嶽寺のことが頭から抜けていたw

 

というのも、この久伊豆神社もなかなかに立派な神社だったからであり、しかも拝殿までの参道が長い。

 

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↑ようやく拝殿に到着

 

久伊豆神社は、創建された年代は不詳だが、平安時代にはすでにあったようで、長い歴史を持つ神社である(Wikipedia久伊豆神社の項目では創建は鎌倉時代とされている*1)。

 

ご創建の年代は不詳ですが、平安時代中期以降には武士団武蔵七党の一である私市党(騎西党)の崇敬も篤く、除災招福の神として武士や庶民の信仰を集めてきました。応仁年間には伊豆国宇佐美の領主である宇佐美三八郎重之が埼玉郡騎西の地を領するところとなり当神社に古刀を奉献し、篤く尊崇したといいます。近世に入ると、徳川将軍家も篤く崇敬し、二代将軍秀忠、三代将軍家光も鷹狩りに際して参拝、休憩したと伝えられています。

 

www.hisaizujinja.jp

 

名前が「クイズ」神社とも読めるな〜と思っていたら、この神社ではないがさいたま市岩槻区の久伊豆神社アメリカ横断ウルトラクイズの会場になったとのこと。私がふっと思いつく程度だ。すでに先人がネタとして活用済みであった。

 

久伊豆神社 (越谷市) - Wikipedia

 

拝殿奥の旧官幣大社南洋神社鎮座跡地遥拝殿の前にはポケモンGO禁止の看板が。アプリを起動させるとどうやらジムになっているようだ(⌒-⌒; )

先日新たなポケモンが投入されたとはいえ、最近はポケモンGO熱は収まっており、ポケモンGOに興じるゲーマーは今日はいなかった。とはいえ、ポケモンGOが流行ったときは大変だったろう。確認はしていないが、ポケモンの巣になったりしていたらそれこそ神社からすればいい迷惑だったにちがいない。

 

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越谷ではイチゴ狩りもできるようだ。越谷駅前には物産館もあり、イチゴジャムも売られていた。にもかかわらず、なぜか私はイチゴジャムは買わずに米菓と越谷ロマンズというお菓子を買ったw

 

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↑左は飼い猫。興味津々

 

越谷駅から北越谷へ、そして越谷駅に戻り、さらに南下して新越谷駅に。なかなかいい運動をした。

 

さて、次はどこに行こうか。

 

今後はどこに注目して市を歩こう?〜『地名の社会学』を読んで〜

これまで市を訪問したときは、地域にあるお店は観光地に注目することが多かった気がする。市名の由来くらいは調べてみるが、それよりも狭い地域の地名にはさほど注意を払ってこなかった。

なんともったいないことをしてきたのか、とこの本を読んで思わず悔やんでしまった。゚(゚´Д`゚)゚。

 

今尾恵介『地名の社会学角川学芸出版、2008年

https://www.amazon.co.jp/地名の社会学-角川選書-今尾-恵介/dp/404703424X

 

目次

第1章 地名はどのように誕生したか

第2章 地名の現場を訪ねて

第3章 地名の階層

第4章 市町村名の由来

第5章 駅名を分析する

第6章 地名崩壊の時代を迎えて

 

著者の今尾恵介氏は、地図研究家でフリーライターとのこと。ウィキペディアの情報によれば、小さい頃から国土地理院の地形図などを愛読していたらしい。私のようなにわかとは大違いのツワモノだ。私も小さい頃から地図を見るのは好きだったが、氏には到底及ばない。

 

個人的に面白いと思ったのは、第2章の「武蔵野台地のクボ地名」と「東京の消えた地名をバス停に訪ねる」だ。氏曰く、「バス停には旧地名がよく残る」(88頁)。

 

 バス停の名前からインスピレーションを得ることがあるようだ。たとえば、本書では武蔵野台地のクボ地名についてページが割かれているが、筆者がクボ地名に関心を持つきっかけがバス停の名前だったのである。

 

実は、筆者がクボ地名を取り上げてみようと思ったきっかけは、武蔵村山市内でバスに乗った際、「次はシドメ窪」というアナウンスを聞いたからだ。本町三丁目とか中央二丁目のように個性を喪失した地名の多い日常を過ごしていると、シドメ窪のインパクトは強いものがある。(74頁)

 

確かに沿線住民でもないかぎり、なかなか耳にしない響きだ。筆者はここから、見た目には窪地ではないが、雨が降ってはじめて水が溜まり、微小な窪みの存在が明らかになり、それが地名として残るまでのプロセスを解明する。

 

武蔵野台地なのだから「窪」というのは不可解である。地図の等高線を調べても有意な窪地はないくらいの本当に微妙な窪地らしい。だが、地元の人は大雨が降ると水が溜まる、というのを経験則から知っているため、そこに「窪」という字を当てるのである(74-87頁)。

 

そのほか、江戸川区のバス停に「棒茅場」(ぼうしば)という地名を見出したり、足立区で「小右衛門町」という地名を発見したりする。どれも現代ではとても名付けられない名前だろう。棒茅場ともなれば立派な難読漢字である。

 

筆者のように変わったバス停名を聞いても、地図を持ち出してその由来を丹念に探るというのは素人には難しい。とはいえ、あっ、このバス停の名前、変わってる〜くらいのツッコミを入れるのは簡単だ。そうしているうちに、風景を見る感性が養われるんじゃないだろうか。

 

歴史の古い記憶に思いを馳せるもよし、新地名にどういった経緯で珍地名(!)になったのか想像を膨らませるもよし、命名には様々な人の希望や思惑が絡むからこそ、いろいろ楽しみがいがあるというものだろう^_^ 

戸田市訪問〜なぜか住宅展示場にて長居する〜(2017年2月11日)

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今回は埼玉県の戸田市に訪問した。

 

戸田市は1966年に誕生した埼玉県南部の市である。2016年1月現在の人口は、135,243人。 地名由来辞典によると、戸田の由来は以下のとおり。

 

戸田市は、近世の通称に由来し、「土田」と表記された例も見られる。

「と」が「高所」、「た」は接尾語とする説や、湿地を表す地名とする説もあるが未詳。

この地には「戸田」という名の武将もいたが、地名からの名前と考えられる。

 

chimei-allguide.com

 

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降り立ったのはJR埼京線戸田公園駅

 

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なぜ、戸田公園駅なのか。理由は単純だ。赤羽駅で乗った埼京線川越駅行きが快速だったため、戸田市で降りるには戸田公園駅で降りるよりほかなかったためである。

 

さて、埼玉県は全国で最も市の数の多い都道府県であり、2017年1月現在でその数40。面積ランキングだと第39位であるから、県の面積に比して市の数がとても多いことがわかる。埼玉県になぜそれほど市の数が多いのかは気になるところだ。

 

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 街に降り立つ。時間はちょうどランチタイム。

 

快速に乗ってしまったため戸田公園駅で降りたが、もともとは戸田駅で下車するつもりだった。それゆえ、戸田公園駅については何も調べていない。西口に降りたが、飲食店があるようにも見えない。

 

まぁチェーン店でもいいか、と思いつつ、多少歩いてみることにする。

 

さほど歩かずして、というか駅からの階段を降りたらほどなくして、おもしろそうなお店を発見。その名をあかし玉子焼き たこ壱という。

 

食べログ「あかし玉子焼き たこ壱」

https://tabelog.com/saitama/A1102/A110202/11040228/

 

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何やらB1グランプリ優勝との文字が。最近まったくフォローしてなかったが、明石玉子焼きがB1グランプリを制していたらしい。一応その事実を確認すべくググってみると、B1グランプリ優勝なのは間違いなく事実のようだが、それと同時に気になるのが、明石焼きB級グルメなのか論争があることだ。

 

www.j-cast.com

 

私としては、ご当地グルメだし手軽な金額で食べられる美味しい料理だと思うので何の疑いもなく明石焼きB級グルメだと思うし、Wikipediaでは、明石焼は「古くよりあるB級グルメ」に位置付けられている。確固たる定義がないのだろうか。

 

B級グルメ - Wikipedia

 

ともあれ、この店がB1グランプリで優勝したわけではないが、ランチを選ぶきっかけができた。他に候補があるわけでもない。迷わずに店内に入る。

 

メニューを見ると、明石焼にもタコ穴子の二種類およびハーフアンドハーフと複数の選択肢があり、その他たこめし、穴子めしなど明石地域のご当地料理が食べられるようだ。明石焼のハーフアンドハーフ、たこめし、穴子めしを注文する。

 

明石焼はたこ焼きと似た形状ながら、出汁で食べるし、味もあっさりしている。先の記事でなぜに明石焼がB級グルメにならないのか、その根拠がはっきりと書かれていないが、こうした明石焼の持つ上品さにその所以があるのかもしれない。

 

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明石焼のアツアツさは今日のような寒い日にはもってこいだ。穴子めしとたこめしはサイズは小ぶり。穴子めしは濃いめのタレが美味しく、他方でたこめしはあっさりめ。気軽に食べられるから、子供連れにもよいだろう。

 

店内のテレビでは王様のブランチが放送されていた。家賃当てのコーナーで、今回はバスルームにこだわる物件特集らしい。いずれの物件もバスルームがガラス張りで、部屋から丸見えまたはシルエットが見える構造。彼氏彼女とならいいかもしれないが、家族だとこういったバスルームはどうなんだろう。物件は一人暮らしか、せいぜい二人までといった感じであったが。自分も一人暮らし時代にこうしたオシャレ物件に住んでみればよかったと思う。

 

ひょんなことから住宅つながりになるが、食後は駅から徒歩2分の住宅展示場に行ってみることにした。王様のブランチに見入ってしまったのもここに原因があるのだが、ただいま我が家はリノベーションのデザインを検討中で、どうしてもアンテナがこっちの方向に行ってしまうのだ。

 

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↑通りの名前は「オリンピック通り」。1964年東京オリンピックのボート競技会場になったことに由来すると思われる

 

すでに中古マンションを購入しているので、住宅展示場に用事はないのだが、内部のデザインなど参考になるところもあるかと思い、覗いてみることにする。戸田市の紹介として適切な場なのかはわからないが、積水ハウス土屋ホームの2件におじゃましただけで3時間も滞在してしまった。説明してくださった担当者には申し訳ないと思いつつも、いずれの会社もそれぞれ独自の強みがあり、思わず新築戸建もいいなぁ、と思ってしまったのであった。積水ハウスは建築後のアフターケア体制が強力だし、土屋ホームの外断熱はたしかに気密性が高く光熱費に優しそうだ。

 

土曜日ながらお客さんは少なく、それでもそこに待機していないといけない担当者は大変だろうなぁ、と思う。冷やかしでも誰か来てくれたほうがいいのか、それとも冷やかしなら時間のムダと思うのか。前者であれば、買う気はないのに訪問した私としても気が休まるのだが。。。(⌒-⌒; )

 

住宅展示場視察を終え、戸田駅方面に歩く。

 

名の知らぬ川でオオバンをパチリ。

 

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道中のゴミ収集場で「生きビン」なる表記を発見。生きビンってなんだろう??(あとで検索してみると「洗って再使用できるビン」を指すようだ)

 

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オロナミンCの空きビンは生きビンなのか??それとも?? 

 

五差路という交差点に遭遇。

 

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↑ここからなら埼玉県南部の主要都市すべてに行けそうだ

 

住宅展示場に3時間もいたせいで、もうすでに日暮れどき。

 

五差路交差点のほど近くに「WA」という看板を掲げたお店を発見。「三陸宮古市場」の文字。時間は17時を過ぎたあたりだが、昼ごはんが軽めだったのでそこそこお腹が減っている。この先に晩御飯の当てがあるわけでもないので、入ってみることにする。

 

r.gnavi.co.jp

 

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 ↑写真を撮ったのは、店を出たとき

 

メニューには様々な魚介類の料理が。目移りする。店員さんも元気。店内は居酒屋といった感じ。17時過ぎと比較的早い時間帯だったので空いていたが、時間の経過とともに店内は混み始め、18時半頃にはだいぶ席が埋まっていた。隣の席には地元の人と思しき家族連れが座る。付近にも居酒屋等があり、この界隈は地元の人御用達のちょっとした飲屋街なのかもしれない。この店もその一つなのだろう。

 

悩んだ末、注文は珍味三種(塩うに、いかうに、山海ほたて)、海鮮サラダのハーフ、ワカサギのてんぷら、肉豆腐、焼きそら豆、シャンパン貝鍋一人前&〆のパスタ、日本酒熱燗也。

 

熱燗と珍味三種がなかなか乙で、出だし快調。発酵食品って複雑で深みのある味だと再確認。発酵食品って好き嫌いの分かれる味だとは思うが、あまり発酵文化の発達していないアメリカから帰ってきたときなど、特にたまらなく美味しい。

 

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居酒屋らしく、この店は比較的量が多めだ。

 

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↑写真では伝わりにくいが、海鮮サラダはハーフでもなかなかのボリューム。魚のぶつ切りがたくさん 

 

シャンパン貝鍋は思いのほか出汁は出なかった( ̄ー ̄)
1番楽しみにしていたのだが、なぜだろう??ホンビノス貝ムール貝、アサリ、カキ、赤皿貝が入っててたくさん出汁が出そうなものだが。貝って酒蒸し的にすれば勝手に出汁が出てくれるもんだと思っていたが、そう簡単なものではないらしい。

 

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そういえば完全に余談だが、築地のトラットリア築地パラディーゾの貝のパスタが、貝の出汁がしっかり出ていてとても美味しかった。

 

r.gnavi.co.jp

 

帰りがけに「WA」から徒歩10分程度のところにあるスーパー銭湯「彩香の湯」に立ち寄る。19時くらいだったが地元の人たちでとても賑わっていた。タオルと館内着は別料金だが、一人1000円程度と、なかなかお値打ち。

 

saikanoyu.com

 

風呂を出て家路につく。

そういえば、戸田公園駅に降りたのに戸田公園には行かなかったな。

 

さて、次はどこに行こうか。

 

いい地名ってなんだろう??

最低でも週に一回どこかの市を訪ねてみたいと思っていたのだが、海外出張が重なってしまいなかなか週末にどこかに行けなくなっている。


このままではブログを書く習慣付けが難しくなってしまうから、何かしらの番外編を書くことした。


番外編として海外の市を紹介するのもありだが、番外編として企画するほどには海外出張に行かないし、たくさんの市に行くわけでもない。なので、海外の市の紹介はやめて、今後の市制覇に役立ちそうな本を読んで、それをまとめてみようと思う。


名著や定番の本から始めるべきかもしれないが、この分野でどういった本や研究者が有名かはまだわからないので、選択はランダムだ。柳田国男もわかろうが、気持ち的にハードルがたあいので、いずれ、、、ということにしたい。


さて、今回は田中宣一氏の『名づけの民俗学』(吉川弘文館、2014年)だ。田中氏は成城大学の名誉教授で、他には『年中行事の研究』や『祀りを乞う神々』などの著作がある。


名づけの民俗学 (歴史文化ライブラリー)

名づけの民俗学 (歴史文化ライブラリー)


目次は以下のとおり。


モノの名前

物に名をつけること

 命名の研究

 言葉の力

生活から地名が生まれる

 地名への関心

 山の名前

 川の名前

 海の名前

 耕作地の名前

 災害と地名

地域の名前

 公的地名

 新しい公的地名

家の名、人の名

 家の名

 名前と人格

 近代の名前

 名づけの民俗学

さまざまな名前

 風の名

 魚の名

 蝸牛

 大学名

現代の命名事情


現代の市名に特に関連するのは、公的地名の部分だろう。


市名を含む公的地名には様々な名付けられ方や由来があるが、田中氏は以下のように分類する。


都道府県名(98-99頁)

1.旧藩名・城・城下町の名前:秋田、山形、福島、富山、福井、静岡、大阪、和歌山、鳥取、岡山、広島、山口、徳島、高知、福岡、佐賀、熊本、鹿児島

2.郡の名前:岩手、宮城、茨城、群馬、埼玉、山梨、愛知、滋賀、島根、香川、大分、宮崎

3.町村名:青森、千葉、神奈川、新潟、長野、兵庫、奈良、長崎

4.初期の県庁所在地名:栃木、石川、三重

5.都市名:京都

6.旧国名:愛媛

7.島名:沖縄

8.その他:北海道、東京、岐阜


市町村名を含む地名分類(115-116頁)

Ⅰ. 自然地形

1.地形や土地の性質

2.気象条件

3.動植物名

4.災害など自然の変化

Ⅱ.文化地名

5.開墾・土地利用

6.神仏名

7.建造物や建造物の関係者

8.農漁工商などの生業や産物

9.伝説や歴史的事柄

Ⅲ.期待地名

10.土地への希望やそこでの生活の抱負・期待


前回の熱海市のブログでも取り上げたが、平成の大合併で新造された名前はこの本でも取り上げられている。


http://mtautumn.hatenablog.com/entry/2017/01/15/233850


たとえば、南アルプス市伊豆市伊豆の国市などがそれで、そのほか太平洋市黒潮市、中央アルプス市、天草シオマネキ市、ブルー奄美市といった実現しなかった珍地名も取り上げられている。これらは珍地名で必ず取り上げられるから、衆目一致の珍地名なのだろう。


歴史に由来せず、想いが込められた新造地名もある。以前訪問した神奈川県大和市もその一つで、村名決定で意見が割れたため、合併後仲良くやるよう、「大いに和する」との意から名付けられた地名である。


http://mtautumn.hatenablog.com/entry/2017/01/09/094623


こうした和を尊重した地名には、山口県大和町(現在の光市)、神奈川県睦合町(現在の厚木市)、熊本県天草郡五和町(現在の天草市)、愛知県美和町(現在のあま市)、熊本県三加和町(現在の和泉町)、愛知県中島郡平和町(現在の稲沢市)などがそうである。


また、今後の発展を祈ってつけられた地名としては、愛知県弥富市島根県那賀郡弥栄村(現在の浜田市)などがある(106-109頁)。


新興住宅街によくある、青葉区青葉台、あざみ野、藤が丘、桂台、若竹町なども、もともとそれらの植物が繁茂していた、というよりは、地域がそうした美しい雰囲気になるようつけられた地名であるという(109-110頁)。


こうした期待や想いが先行する新造地名は批判や嘲笑の対象になりやすい。


しかしながら、田中氏のこれらの地名に対する眼差しは暖かい。


「宅地開発によって、歴史を持つ大字名や字名が消えるという由々しき事態は生じているものの、新たな名のり的命名による地名が増え、それらには住民の意気込みや夢が盛り込まれていて悪くない」(111頁)


もちろん、命名由来は得てして後付けで、命名プロセスを詳しく知っている人からすれば、そう簡単には受け入れられない事情もあるのだろう。


それに私だって、珍地名を見たときにはキラキラネームを見たときのような衝撃を覚えるのも事実だ。


とはいえ、名前に縁起をかつぎたいと思うのは人間が感情を持つ生き物だからであり、ときとしてそれが一風変わった名前を生むことにつながるのだとしても、新たに誕生した名前を温かく見守るのもありではないだろうか。


田中氏の本を読んで、私はそう思うのである。


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