昔は今ほど交通機関も情報通信手段も発達していなかったから、人々があちこちに移動したり、余所のことを気軽に調べることもなかっただろう。
それゆえ、余所と地名がかぶっても普通の人が混同して困ることもあまりなかったと思われる。
だからこそ、かつては日本各地に同じ地名があったのであり、それで困るわけでもないから、誰も気にしなかったのである。
江戸時代には、駿府も甲府もともに府中であった(八幡和郎『日本史が面白くなる「地名」の秘密』176ページ)。
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さらに言えば同名だけでなく、同音の地名まで含めればさらにその数は増える。現代でも同音地名はいくつもある(同上、183ページ)。
だて:伊達市(北海道、福島)
ふちゅう:府中市(広島、東京)
余所のことを気にせずに済んだ昔はよい。でも、人々の移動が活発化し、余所の情報も気軽に知られるようになると、同名同音地名はけっこう紛らわしいことになる。
実際、同名のせいでとんでもない勘違いが起きた。
江戸時代、出雲松江藩主であった堀尾忠晴は、1632年に幕府から丹波亀山城(京都府亀岡市)の天守閣を解体するよう命令されたが、堀尾さんは今の三重県亀山市、かつての伊勢の亀山城の天守閣を解体してしまったらしい。
丹波の地元の人なら亀山といえば、丹波亀山城しか知らなかったであろうから、解体する天守閣を間違えるようなことはなかっただろう。しかし、堀尾忠晴は不幸にして他にも亀山城があることを知っていた。昔は伊勢の亀山城のほうが有名だったのかもしれないとも思ったりもしたが、ウィキペディアを見る限り、丹波亀山城も明智光秀の居城だったのであり、なかなか知名度がありそうな城である。伊勢の亀山城の天守閣が解体されてもおかしくない伏線があったのだろうか?それとも単に堀尾忠晴がそそっかしいだけだったのか。
堀尾忠晴は出雲松江藩主だったというから、それなら丹波亀山城のほうが近いわけで、なぜに素直に近いほうの城だと思わなかったのか?松江藩主に伊勢亀山城の工事を依頼するのはおかしいと思わなかったのか?もちろん、江戸時代では大名に城の造営などをさせられていたわけだから、遠方の城の工事を依頼されるのは当時としてはさほど珍しくなかったのかもしれないが。
とはいえ、なんにせよ知っていたがゆえに、堀尾忠晴は間違えて別の天守閣を壊してしまったわけだ。
間違いに気づいたときのからの心中はいかに。
第二第三の堀尾忠晴を生まないにはどうすべきか?
それはすなわち文字で書くことだ。文字であれば同音の問題は解決され、同名であっても会話自体を文字化すれば勘違いは避けられる。
社会人になると要件はメモするように習うが、日本の地名や人名が間違えやすい特質があるからこそなおさらメモの重要性が強調されるのやもしれない。
テロップの氾濫はテレビ業界が浮ついているからではなく、そうしないと間違えやすいからだった。
そもそも日本語というのは、同音異字が非常に多い言葉です。とくに固有名詞で顕著です。外国人が日本のテレビのニュース番組を見て不思議がるのは、やたらとパネルや字幕が多いことなのですが、これも、地名や人名を画面上、漢字で見せないと耳で聞くだけでは理解しにくいからです(同上183-184ページ)
地名のわかりにくさがテロップを必要としたというのはこれまで知らなかったが、言われてみれば確かにと納得できることである。
ならば、まぎらわしくて間違えるリスクが高い日本語を止めるという手もある。漢字、ひらがな、カタカナというまったく異なる文字を使い分けるというのは世界的にも珍しい言語である。
だが、さまざまな表現方法が可能なところが日本語の良さであり、われわれの気持ちの機微を伝えるのに最善の言語でもあるのだろう。
同音異字などは利便性の観点からは何のメリットもないことだが、それでもその地名を譲ることはできないのは、やはり地名は識別性という面に加えて、その場所の歴史や人々の思い入れが込められているからなのだろう。
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