今回は有名な観光地、熱海市だ。
1.正しい地名?
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すべての市に行くと決めてから、地名や地理に関する本を読み始めるようになった。そうするとしばしば非難の槍玉に挙げられている地名があることに気づく。
瀬戸内市や四国中央市、北杜市、伊豆市、伊豆の国市、南アルプス市、奥州市、つくばみらい市、さくら市などがその代表だ。実現しなかった名称には太平洋市や南セントレア市などがある。歴史的伝統性や機能性がない、一地域にすぎない市がより広域の地名を名乗ることが誇大や僭称にあたる、というのが非難される主な理由である*1。
上の本を書かれた楠原氏は正しい地名復興運動世話人でもある*2。
確かにひらがなやカタカナが入った地名はギョッとするし、瀬戸内市や四国中央市、奥州市なども地理的範囲が広すぎてどこの県の市かわかりにくかったりはするから、氏の言うことには頷ける部分が多々ある。キラキラネームに遭遇したときのようなモヤっと感を感じるのは否定できない。
ただ、歴史的伝統性や機能性がある地名こそが正しい地名なのです、と断言されてしまうとそれはそれでモヤっとしてしまう。
というのも、歴史的伝統性や機能性を「正しい」基準と断言する基準がわからないからである。歴史的伝統性や機能性がなくても居住者の民意が反映されていたり、創作的な地名であってもものすごく考え抜かれた名前が誕生することもあるだろう。歴史的伝統性や機能性が市名を決める上での基準の一つである、というならそのとおりだと思うが、それが「正しい」基準である!と上から目線で言われてしまうとやはり何かしらの違和感は感じてしまうのだ。
槍玉に挙げられる地名の多くは平成の大合併時に出来た地名だ。合併に先立って合併協議会が設立され、そこで有識者等が議論し、複数の候補から地域住民にアンケートで投票してもらい、その結果を踏まえて新市名が決定されることが一般的である。アンケート結果が上位だったにもかかわらず、最終的に別の地名が合併協議会で決定されてしまうこともしばしばであり、民意に諮るプロセスがあるように見えても実際は民意が反映されていないケースも多々あるが、理念型としては、地域住民が賛成していることを新市名決定の基準にすることは可能だろう(たとえそれが歴史的伝統性や機能性がなかったとしても)。
楠原氏は「市名などは、一時の好悪感とか一部住民の嫌悪感とかで選ぶものではな」いと言うが*3、、今日では歴史的伝統性のある地名が当初より「一時の好悪感とか一部住民の嫌悪感」で選ばれたものではなかったかと言えば、そうではないだろう。
たとえば、会津若松は戦国大名の蒲生氏郷が命名した地名だが、この若松という地名は蒲生氏郷が幼少の頃遊んだ日野の「若松の杜」に由来するというのが通説だ。日野とは近江国蒲生郷日野で、現在の滋賀県だ*4。
福岡もしかり。もともと「博多」と呼ばれていたが、戦国大名の黒田長政が黒田家ゆかりの備前国福岡にちなんで命名した地名である*5。
会津若松も福岡もそれこそ歴史的伝統性や機能性、住民の意向など顧慮されずに決定された名称であり、特定の人物の「一部の好悪感とか一部住民の嫌悪感」に基づいた地名といえるだろう。その点、現在のほうが地名決定に多くの人々が関われている点で地域住民の民意が考慮されているともいえる。
だからといって、会津若松や福岡がおかしな地名ってことはないだろう。両方ともすっかり馴染んだいい地名だと思う。
そう考えると、確かに歴史的伝統性のある名前は美しいし、それが消えていくことに対する嘆きはとっても共感できるものの、歴史的伝統性や機能性ばかりが「正しい」として、他の決め方を排除するような考え方はやはり望ましくないように思えるのである。
2.熱海市
さて、前書きが長くなったが、今回は熱海市である。もはや説明が不要な全国的に有名な観光地であり、温泉や海産物に代表されるグルメなど、多彩な魅力に溢れる街である。こういうブログを書いていると、ガイドブックに載っていない場所を紹介したくなるが、これだけ訪問すべき場所がたくさんある街だと、ガイドブックに掲載されている場所だけでも目移りしてしまう。とてもニッチな場所を開拓するだけのゆとりなどない。正しい地名論争などしている場合ではないのである(⌒-⌒; )
ウィキペディアの情報によると、なんでも熱海市は神奈川県湯河原町との合併構想が持ち上がったこともあるらしい*6。合併すれば一大温泉観光圏の誕生であったろうが、ともに温泉地として名高い街だけに合併後の地名をどうするかで大揉めに揉めたことであろう(笑)
前回訪問した大和市のようにもともとの地域名と関連性のない名前が選択されるケースでよく見られるのが、どの地域の力も拮抗していて、あちらを立てればこちらが立たずとなり、それゆえどの地名とも関係のない名前が選択される場合である。平成の大合併でも名称をめぐって対立が発生し、合併自体がご破算になったケースもある。熱海も湯河原もともに広く知られた地名で互いが譲らないだろうか、きっと合併した場合は歴史的伝統派が忌み嫌うような珍妙な新市名になったことだろう。
肝心の熱海市だが、その歴史をたどると、1889年に熱海村が伊豆山村、泉村、初島村と合併して、新たな熱海村になり、さらに1937年に多賀村と合併して熱海市が誕生した。2012年4月現在の人口は39,463人である。
熱海市によると、熱海の由来は下記のとおりである。
奈良時代、箱根の万巻上人が、海中に沸く熱湯によって魚類が焼け死に、甚大な被害を被っていた漁民たちの訴えを聞き、祈願によって泉脈を海中から山里へ移し、「この前にお社を建てて拝めば、現世も病を治す、来世も幸せに暮らせる」と人々に説いたと伝承されています。この源泉が現在の大湯であり、そのお社は薬師如来と少彦名神をお祀りしてこの地の守り神とした、湯前権現(現在の湯前神社)であるといわれています。
また、「熱海」と書いて、「あたみ」と読むこの地名の由来は、海中より温泉が凄まじく沸きあがり、海水がことごとく熱湯となったため、「あつうみが崎」と呼ばれ、それが変じて「あたみ」と称されるようになったと言われています
いかにも温泉地らしい名前の由来だ。
3.桜祭り
1月もまだ半ばだというのに、もう桜が咲いている。その名も「熱海桜」。1月に咲く桜だそうで、2月に咲く河津桜は知っていたが、さらに早く咲く桜があるとは知らなかった。折しも今日の最高気温は7度、小雪もちらつく寒さである(Yahoo天気予報では晴れ時々くもりだが、実際ちらちら小雪が舞っていた)。
↑写真ではわかりにくいが、川の両岸に桜が咲いていた
そんな寒空にもかかわらずしっかり咲いている。写真だけ見れば、3月か4月か見間違えてしまうほどだ。この寒さでは落ち着いてお花見というわけにはいかないが、1月に満開の桜を見るのは不思議な気分だ。
ちなみに熱海桜の開花期間は約1ヶ月だそうだ。ソメイヨシノは満開になってから一週間程度で花が散ってしまうから、なんとも強靭な桜の花だ。心なしか幹や枝もごつくて力がありそうである。よもや桜を見られるとは思っていなかったから、得した気分である。
4.起雲閣
このブログを始める前であるが、熱海には何度か来ている。東京在住の人間にとって、熱海は気軽に行ける観光地の一つである。温泉や海産物など多くの魅力があるこの街だが、今回熱海に来たのは、「起雲閣」に行ってみたかったからである。
起雲閣とは、1919年に別荘として建てられた邸宅で、のちに旅館となり、山本耕三や志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一ら名だたる文豪が宿泊した邸宅である。現在は熱海市の指定有形文化財。
和館と洋館がミックスした独特のオーラを持つ建築物だが、内部もかなり凝ったつくりになっている。
和館の「麒麟・大鳳」の間は群青色の壁が際立つ。たまたまそばにいたガイドさん曰く、これは加賀群青と言われる色で、その色を出す材料は高価で貴重であったため、前田家のお殿様でないと使用できなかったそうだ。その後、起雲閣の持ち主が石川県出身者に移ったため、旅館開業にあたり加賀群青色に染めたのである。
↑群青色と和室のコントラスト
兼六園にもこの色が使われているそうだから、石川県出身者や兼六園を観光した人にとっては既知のことであろうが、和室と鮮明な群青色のコントラストは私にとってとても新鮮で粋に映ったのである。当時の宿泊者はこの色を見て何をどう感じたのだろうか。
順路に沿って進むと、「玉姫」という洋館の部屋に着く。熱海市のホームページだと窓や天井の写真が使用されているが、むしろタイル張りのカラフルな床こそ美しい。私は建築学についてまったくの無知だが、当時でさえもけっこうハイカラなデザインだったのではないだろうか??
利便性ではフローリングの床のほうが断然いいだろうが、こんな床にすれば現在でもかなりの洒落者として評判になりそうだ。
↑床がとてもおしゃれ
5.こばやし
せっかく熱海に来たのだから、やはり海の幸は食べたい。訪れたのは「和食処こばやし」。
食べログの評価も高い。早めの時間なら空いているだろうと17時半ぐらいに店に着いたが、なんとすでに満席。ちょうど会計を済ませるお客さんがいたので、運良くさほど待たずに席に着くことができた*7。
飲み屋かと思えば、定食メニューが豊富である。とはいえ、気分は一品料理なので、春野菜のてんぷら、金目鯛の煮付け、お刺身の盛り合わせ、アジの干物、金目鯛とあおさのりのお茶漬けを食べることにした。
お刺身の盛り合わせは最も安くて4500円。なかなかに強気の値段設定だが、運ばれて来ればその金額も納得。正直、二人ならばお刺身だけでけっこうお腹にたまるくらいの量だ。一切れ一切れが厚さもある。アジは直前に〆られたようで、まだ口をパクパクしている。盛り合わせはアジ、いさき、タコ、〆鯖、イカ、マグロ、かんぱちといったところか。将来ビッグになったら金額を気にせずに伊勢海老の刺身に挑戦したい(将来といいながら、すでにしてけっこういい年だが。まだ大器晩成という言葉は使う権利があるのだろうか)。
↑お刺身はボリューム満点
↑金箔とアジ
伊豆に来た以上金目鯛の煮付けは外せない。濃いめの味付けが美味しい。白い米が欲しい。
↑金目鯛の煮付け
お茶漬けは意外にも金目鯛の西京焼きをほぐし身が使われている。てっきりお刺身に出汁をかけるのかと思った。脂の乗った金目鯛の西京焼きだけあって、かなり主張してくる。なかなかに重量級のお茶漬けだ。
↑お茶漬け
ただ、このともすれば脂っこくなりかねないお茶漬けをきりっと〆るのが伊豆生わさびである。生わさびを入れると一気に清涼感が増す。生わさびバンザイ。君がいないと満足度もだいぶ違っていたであろう。
6.聚楽
帰りの時間も気になるが、寒気のせいで雪もちらつくこの寒さ。体がお湯を欲している。こばやしを出たのが19時半。遅くまで立ち寄り湯をやっているところを探すと、熱海聚楽ホテル・月の栖が21時まで立ち寄り湯をやっているとのこと。熱海駅から徒歩3分、こばやしからもとても近い。
タオル付きで一人2000円也。ちょうどお宿の食事時間中だったためか大浴場には誰もいない。ラッキー(^ ^)
ほのかに漂う硫黄臭がいい。露天風呂はそれほど広くはないが、夜の冷気の中で入る温泉は格別だ。
温泉の効果はすごい。来るときは冷え切った体が、帰るときは寒気の冷気などまったく気にならないくらいぽっかぽかだ。さすがは温泉である。
熱海の夜は早い。20時過ぎだというのに商店街はすでにお店が閉まって真っ暗だ。改札内の売店で慌ててお土産を買って、20時35分の小金井行きの電車に乗る。
↑熱海の夜は早い。これで20時過ぎ。
熱海に着いたのが14時くらいだから、6時間半くらいしかいなかったが、それでもけっこう楽しかった。東京至近の観光地熱海はやはり素晴らしい場所であった。
↑今回は行かなかったが、美味しいラーメン屋「雨風本舗」
さて今度はどこへ行こうか。