全国すべての市を制覇する旅に出た猫

日本にはたくさんの魅力ある市があるにもかかわらず、なかなか探訪する機会がないので、コツコツ全国の市に訪問してみようと思いました。このブログはそんな訪問の記録。

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失われた地名と失うことのコスト、あえて変えたい心理

 

「鶴」と名のつく地名

「鶴」という名が地名に付いているからといって、そこが鶴とゆかりがあるとは限らない。

 

古代には水の流れているところが「水流」とよばれた。宮崎県には川水流などの表記をとる地名が残っているが、今日では「水流」に「鶴」の字があてられる場合も多い。

つまり、鶴のつく地名の多くは、ツルがいたことにもとづくものではなく、川のそばをあらわすものなのである(武光誠『地名から歴史を読む方法ー日本史の意外な真相が地名に隠されていたー』河出書房新社、2004年、59頁)

  

 

私が先に行った埼玉県鶴ヶ島市は鶴が来ることに由来するそうだが、上記のように武光氏によると、地名の鶴はしばしば「水流(つる)」に由来するそうだ。

 

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川は生活に欠かせない水を提供し、他方で洪水のように害を及ぼすこともある。それゆえ、どこに川があって、その川がどのような特質を持つのかを地名に残すことで、誰もがその情報を共有できるようになる。

前に柳田國男を引用して書いたとおり、地名とは複数人の間での理解を可能にするための符号なのである。

 

 「地名とはそもそも何であるかというと、要するに二人以上の人の間に共同に使用せらるる符号である」(柳田國男『地名の研究』17頁)

 

mtautumn.hatenablog.com

 

実際、全国には川にちなむ名前が多いそうだ。

落合、二俣、川合、河合、合川、轟、等々力、土々呂、長瀞、鶴間、鶴舞、平貝、中貝、鵜戸、福良、鯉川などがそうである。

貝は、海の貝ではなく、「峡」(かい)が転じたものだそうだ。福良は、川の水がたまった「袋」が変化。今日でも子供の名前に当て字的なキラキラネームが話題になっているが、なかなかどうして昔の人も知恵を絞っていい名前を考えだそうとしていたのである(武光、57ー59頁)。

 

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地名は残すべきか、それとも変えるべきか

しかし、時代の変遷とともに別の字が当てられて、本来の意味が消失することもある。

 

上の鶴と水流がその一例だ。

 

必要性がなくなって別の文字が当てられるのであれば問題はなかろうが、そうでないなら、貴重な情報源が失われてしまうことにもつながりかねない。

 

しかし、情報として重要であっても、それが洪水等の災害を連想させる名称の場合、その土地は人気が無くなるかもしれないし、すでに住んでいる人からしてももっと縁起のいい名前に変えたいと思うのが人情というものだ。

 

それゆえ、鶴といった縁起のいい名前が当てられるわけだが、情報としての必要性と自分が住む土地は素晴らしい場所であってほしいという願いとの間に大きなジレンマが存在するのである。

 

東日本大震災のとき、海沿いでもないのに、液状化現象が発生した地域がある。

 地名や古地図を紐解けば、かつてそこに沼などがあったことがわかったりするのであり、危ない地名を扱った本が出版されたりもした。

 

この地名が危ない (幻冬舎新書)

この地名が危ない (幻冬舎新書)

 

 

これは地名の重要性と安易な地名変更への警鐘といった含意を持つが、たとえそれが真実であっても危ないとされた地名に住む人にとってはまったく楽しくない話だろう。

 

持ち家であればそう簡単に売り払って他所に移り住むわけにはいかないし、危ない地名であることが判明して資産の価値が減ってしまうかもしれない。

 危ないと言われようが長年住んでいればその土地への愛着もあろう。

 

変わるからこそ地名探索の面白さも倍増するというものだが、地名は単に場所の識別性を示すだけでなく、人々の思いや価値観にも深く関わるからこそ、多様な地名が日本に存在するのだろう。

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