全国すべての市を制覇する旅に出た猫

日本にはたくさんの魅力ある市があるにもかかわらず、なかなか探訪する機会がないので、コツコツ全国の市に訪問してみようと思いました。このブログはそんな訪問の記録。

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戦国時代を味わえる東京から一番近い場所〜神奈川県小田原市(2017年11月4日訪問)〜

 

 

今回は神奈川県小田原市

小田原市は神奈川県西部の人口20万人程度の街である。人口規模からいえばもっと大きな都市は多いが、戦国時代の後北条氏の本拠地があった街ゆえか、街の規模以上の知名度を誇る。神奈川、東京に住む人であれば東海道線小田急線のターミナル駅として馴染みがあるし、新幹線もこだまではあるが停車する。 日本有数の温泉地である箱根観光の拠点でもある。小田原城は桜の名所でもあり、城と桜の美しいコンビネーションは日本に生まれた幸せを実感させてくれる。

 

小田原の地名由来は諸説ある。というか、多くの地名の由来は諸説があるのだが、小田原の場合、誤りがもとになっているという説さえある。

 

草書体で書かれた文字を読み誤って「小田原」になったというのだ。

小田原から大磯にかけての一帯は、かつて「餘綾」(よろき)と呼ばれていた。その地名に接頭語の「小」がついて、やがて「小餘綾」(こよろき)となる。この「餘綾」は難しい漢字のためか、「小餘綾」はやがて「小由留木」という当て字で書かれることがあったという。

読み間違いの始まりは、この「小由留木」である。これを草書体で書くと、「留」は「る」で書かれ、「小由る木」となる。それがいつしか、「小」「由」「る木」が一つの塊の漢字と謝って、「小田原」になったというのである(括弧内筆者)(浜田弘明『意外と知らない神奈川県の歴史を読み解く!神奈川「地理・地名・地図」の謎』(70-72頁)

 

 

mtautumn.hatenablog.com

 

識字率の低い昔であればそもそも伝達がうまくいく確率が低い。漢字をちゃんと書ける人が少なかったわけだから、伝言ゲームのハンディキャップは相当に大きい。それに文章よりも話し言葉での伝達がメインの昔であれば、漢字でどう書くかよりも発音のほうが重要であった。すなわち音さえ合っていればよいというある種の割り切りだ。

小田原までは東海道線で行ったが、江戸時代、伊勢参りまでの珍道中(人気が出て旅はさらに続く結果となったのだが)を描いた東海道中膝栗毛の主役の一人の「喜多」さんは、原作では「北」さんと表記されていることが多い。現代であれば誤字とされようが、江戸時代は文字として読むよりも音として聞くことのほうが多かったから、聴衆からすれば喜多さんだろうが、北さんだろうがどちらでもよかったのである。江戸時代でさえこの調子なのだ、いわんやそれ以前の時代においてをやである。

 

今の日本人はほぼ全員読み書きができる。読者が多いか少ないかはともかく、ブログを使って私のような一個人が記事を書いて対外的に発表することもできる。皆が読み書きできるからこそ文字を使ったコミュニケーションが発達し、皆が読み書きできるからこそ正確な記述が当然視され、誤字脱字が注意される。メールやSNSでのコミュニケーションは特に年配の人から味気ないものとして映るようだが、こうしたコミュニケーションが可能なのは、まずもってわれわれが老若男女を問わず文字を使ったコミュニケーションスキルが高いからに他ならない。絵文字等も含めて若い人ほど文字を介したコミュニケーションスキルが高いし、工夫されているのではないだろうか。私の世代は携帯電話普及期に当たる。携帯メールは手紙より味気ないと言われたものだが、現役世代はメールの返信の早い遅い、絵文字を使うかどうかでけっこうな駆け引きを展開していたのである。見えないシグナルを読み取ろうとして過剰に反応してしまう悩ましい側面があったことは否定しないけれど、あれはあれでとても心踊るものがあったのである。

 

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早川港で釣りをする

小田原に来た目的は2つ。一つは魚料理をつまみたくなったから。もう一つは相方が釣りをしたいと言ったからである。相方は釣りをしたことがないが、私とて幼い頃に長野県かどこかに旅行したときに釣り堀でニジマス釣りをした経験しかない。ブランク、といってもそもそも釣り技術を何ら習得してないのだが、この日は人生で2回目、初めての釣りから30年以上も経過しているのである。あの頃の自分は珠のようにかわいかった(はずである)。

 

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 ↑天史朗鮨でランチ。地魚寿司も一品料理で頼んだシャコの塩焼きも美味しかった

 

 

小田原で真っ先に行くべきは小田原城なのだろうが、過去に行ったことがあったし、あまりのんびりしていると釣竿のレンタル時間が終わってしまう。まずは駅前の寿司屋で腹ごしらえしつつ、駅前で借りたレンタサイクルで港を目指す。

 

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↑充電されていない自転車があったりメンテナンス状態があまりよくないが、神奈川西部を網羅させようとするその野心はすごい。神奈川西部には小田原、箱根、湯河原など有名な観光地が多いから、本当に神奈川西部を網羅できたらすごく楽しいだろう。ポテンシャルが大きいのだから是非とも頑張ってもらいたい。

 

docomo-cycle.jp

 

港には多くの人がいた。自分が記憶していたよりも飲食店の数が多い。各店ともなかなか賑わっているようだ。天気もいいし。なんせ関東はその前の週もさらにその前の週も、せっかくの週末が季節外れの台風のせいで雨だったのだ。みんな秋の行楽を楽しみたくてうずうずしていたに違いない。翌日は日曜日でお休みだから、中には箱根に行く人もいるかもしれない。小田原は箱根エリアに行く拠点でもある。

 

釣竿は無事に借りられた。繰り返すが、とても小さい頃に長野県のどこかの釣り堀に行った記憶がうっすらとある程度で、そのわずかな経験を除けば人生で初めての釣りである。

 

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リールのない単に垂らすだけの釣竿とエサやバケツの一式を借りた。今日は晴れ。気温も20度超と絶好の釣り日和だ。お店の人もかなりの人出だと言う。他の釣り人との距離があまりに近すぎるのも問題だが、他の人が海に蒔いたエサの恩恵にあずかれるため、ほどほどであれば似たような釣りをしている人の側でやるといいそうだ。

 

港の岸壁に腰掛けて釣り糸をたらす。単純の設計の釣竿だから準備が楽チンであった。

 

 

エサのオキアミを海にばらまく。

 

 

魚影が見える。小さい魚のようだが、オキアミ目当てすぐに魚が集まりはじめた。

 

 

 

さらにオキアミを海に投下する。

 

 

 

針にはエサは付けてないが、疑似餌に反応したのか針の周りにも魚が集まる。彼らの関心を惹いているようだ。

 

そのうちの一匹が針にかかった。

 

食いついたというよりは引っかかったといったほうがピッタリのかすかな感触。小さい魚だからか、引きも大したことはない。あっさりと魚を陸に釣り上げた。

 

まぁ、そんなに簡単には釣れまいと思っていたら、ものの1、2分で一匹釣れてしまった。なんの魚かわからない。鯵やイワシではないようだ。

 

体長は10センチもないくらいか。しかし、そんな小さい魚でさえも自分が生命体であると圧倒的な存在感で主張してくる。釣り経験者なら誰もが通る道なのだろうが、これから針を外さなければならないのだ。さすがに切り身の魚が海を泳いでなんて思ったことはないし、網で魚を取ったこともある。生きている魚にあいまみえるのも人生でこれが初めてというわけでもない。が、針を外すためにピチピチと跳ねる魚と格闘するというのは想像以上のハードルの高さである。さりとて外さなければこの魚は死ぬわけだし、釣りを続行することもできない。選択肢はない。しかし、このわずか10センチの生命体の私めっちゃ生き物です、という自己主張はすさまじく、対して触れようとする私は大変な及び腰なのであった。体重差で言えばライトフェザー級とヘビー級以上の違いがあるはずなのに、翻弄されていたのは確実に私のほうであった。相手は蝶のように舞ったわけでもないのだが。

 

そのときは何の魚かわからなかったが、のちに他の釣り人に教わったところ、「アイゴ」とのこと。そして、今から思えば本当に運が良かったのだが、この魚の背びれには毒があったのだ。死ぬことはないが、数日から数週間、激痛が続くらしい。針を外すとかに背びれに触れた気もするが、幸い刺されはしなかったのうだ。あやうく釣り開始1分でダウンするところであった。

 

2時間あまりの釣りで相方と合わせて10匹程度釣れた。すべてアイゴ。他の釣り人曰く、この日はアイゴしか引っ掛からないらしい。まだ幼魚なのか食べるには小さいので海にリリースした。釣り店店主はアジやイワシは釣れるというし、店内に飾られた写真を見れば数十センチはあろうかという立派な魚を釣り上げた人もいる。さすがにわれわれが借りた垂らすだけの釣竿ではそんな大魚が食いついたところで釣り上げることはできないのだが。

 

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晩飯を回転寿司というかバルというか、とても邪道なのにとても美味しい回転寿司屋で済ませ、夜の小田原城に立ち寄り、駅前の万葉の湯に入る。お土産のかまぼこも買った。半日だけの滞在ではあったが、かなり小田原を満喫できたと思う。

 

 

 

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さて、今度はどの市に行こうか。

 

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相模湖、加速する世界とは無関係な時間が流れている(神奈川県相模原市、2017年11月3日)

  

今回訪れたのは相模原市

 

さて、今回は神奈川県相模原市だ。2017年10月1日現在の人口が722,157人の大都市である*1。神奈川県で横浜、川崎に次いで三番目の人口を誇り、政令指定都市にもなっている。市政施行は昭和29(1954)年。宇宙航空研究開発機構JAXA)研究つながりで構成される「銀河連邦」と一角をなす。

 

www.city.sagamihara.kanagawa.jp

 

相模原の地名は、旧国名の「相模」にちなみ、相模原大地の由来する。相模自体は、箱根の坂から見下ろす国で「坂見」、平地が少ないから「険み(さがみ)」、「嶮上(さかがみ)」、賀茂真淵の「身狭上(みさがみ)」、秦酒公の一族が酒造りをはじめたところとして「酒醸(さけみ)」といった具合に諸説あるようだ。

 

chimei-allguide.com

 

今回訪れたのは、相模原市といっても、相模大野や相模原、橋本といった中核エリアではなく、山梨県と東京都との県境付近に位置する相模湖である。東京の中央線沿線に住む人であれば、高尾の先に相模湖駅があるのをご存知であろう。高尾は東京都、その3つ先の上野原駅山梨県相模湖駅と隣の藤野駅の2つがぴょこっと突き出るように神奈川県の駅となっている。

 

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↑逆光で見えないが相模湖駅

 

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相模湖はダムによって誕生した人造湖。1964年の東京オリンピックではカヌーの会場にもなった。東京から近いから気軽に行けるレジャー場所として絶好の位置にあるといえそうだが、東京から見れば高尾や奥多摩が西部にある中であえて相模湖まで行けなくてもいいと思うのか、休日の行き先としてメジャーという印象はない。

 

ゆったりと流れる昭和時間

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実際、駅前に降り立ってみれば、駅舎は新しいものの、街の時間は完全に昭和で止まっている。それがとてもいいのだが、昭和から更新されるほど観光客がいないことを物語っているようにも見える。意図的に昭和を残したというよりは、更新できずに残ってしまい、それが結果的にレトロ感を醸し出してるといったところか。

 

世の中では米国のスタートアップ企業が2017年中の空飛ぶ自動車の発売を発表したり*2SpaceXが地球旅行を提案したり*3、かつては、といってもせいぜい10年、20年前でさえも、SFのストーリーの中でしか登場しなかったテクノロジーがどんどん実用化されようとしている。世界は圧倒的なスピードで動いているのだ。にもかかわらず、ここ相模湖はそんな世界の動きとは全く無関係な時間軸の中で生きている。

空飛ぶ自動車と地球旅行が近い将来実現しても、われわれは空飛ぶ自動車で東京から中央自動車道を通って(空飛ぶ自動車が従来の高速道路を使うのかはわからないが、あちこち飛び回っても危険なはずだから、なんらかのかたちで走行(飛行)できる道が設定されるだろう)、相模湖の昭和遺産を見に来るのだろうか。海外からはロケットに乗って、空飛ぶ自動車のウーバーかタクシー的なものに乗って、相模湖観光に来るのだろうか。そして、そんな時代になっても相模湖ではおじさんたちが遊覧船や足こぎボート、射的の呼び込みをしているのだろうか。

 

私は昭和生まれだが、相模湖に来ている人の少なからずは平成生まれっぽい若者、ファミリー層であった。だから、人口構成的には相模湖も平成化しているべきはずなのだが、なぜかわれわれは相模湖の持つ昭和的空気に飲み込まれ、昭和生まれも平成生まれもみな昭和的な、 というか『ALWAYS三丁目の夕日』的な、ノスタルジックな雰囲気を帯びるようになる。子供がキャッキャと遊び、走って転ばないようにとそれを注意する親の声、デートにやってきたアベックたち(!)、30年、40年、50年前もこんな感じだったに違いないと思わせる温和で、それでいて身近ながら普段の生活とは違う非日常的な時間が流れている。岸には夕暮れを眺める人々、湖にはやや遅い時間からボートを漕ぎ出した人たちは、そろそろ暗くなったから岸に戻ろうとオールを漕ぐ腕の動きを早め(もしくは足こぎボートを漕ぐ足に入れる力を強め)、ファミリーは家路につくためにクルマへと急ぐ。この日の昼間の気温は20度を超えたが、それでも11月初旬の相模湖は冷んやりする。夕暮れとこの冷たい空気が人をしてますますノスタルジーな気持ちにさせるのだろう。なんとも心安らぐ時間の流れだ。

 

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↑「3倍の走ります 」のサガシー。3倍が速度なのか距離なのかはよくわからない。しかも何と比較してなのか。サガシーに乗ってみたが大して速いわけではない。スワン足こぎボートの速度の3倍だとしたら、スワン足こぎボートは微動だにしないことになる。

 

 

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相模湖の新名物、イルミネーション 

では、相模湖にまったく現代的要素がないかといえばそうでもない。その一つが遊園地プレジャーフォレストのイルミネーション「さがみ湖イルミリオン」だ。公共交通機関を使うのであれば、相模湖駅からバスが運行されている。

 

さがみ湖リゾート プレジャーフォレスト/神奈川県相模湖の遊園地

 

ここにはスーパー銭湯がある。冷えた体を温めるためにここに行こうとしたのだが、道中のバスがなかなか混んでいる。しかも若者が多い。さらに言えば、若者のカップル率が高い。 そんなにみな温泉に入りたいのだろうか。にわかには信じられなかったが、われわれを乗せた神奈川中央交通のバスはそんなことはお構いなしに一路プレジャーフォレストに向かう。

 

着いてわかったが、大規模なイルミネーションがあったのだ。そういえばしばらく前から相模湖でかなりの規模感のイルミネーションをやっていると聞いたことがあった。東京ウォーカー等の情報誌にはクリスマスシーズン頃に各地のイルミネーション情報を掲載するが、相模湖のイルミネーションは必ず紹介される。初めて聞いたときはそんなとこでそんなことやってるんだね、といったぼんやりとした感想を抱いただけであったが、本日そのぼんやり記憶と眼前の現実がようやく実線で結びついた。

 

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イルミネーションといえばクリスマスの風物詩。自分も大学生の頃は当時の恋人とどこのイルミネーションを見に行くか頭を悩ませた。今見てもイルミネーションは十分に綺麗だが、当時はイルミネーションを見るという行為それ自体にもっと高い価値を置いていたと思う。イルミネーションを見て、恋人を後ろから抱きしめて、好きだよ、くらいは言ったかもしれない。いや、確実に言った。今から振り返れば、イルミネーションは自分たちが幸せであるという確認作業をする場だったようにも思うのだ。大学生くらいの恋愛って、この先も長く続くかよくわからない不安定さがある。その瞬間はお互いのことがとても好きで、しかし頭の片隅では若い頃の恋愛は長続きしないケースが多いことも知っている。結婚がゴールである必要はどこにもないが、学生恋愛の末に結婚した人たちに対して、あの二人は一途だ、と感じるのは、学生時代の恋愛が長続きしないことの事実を示唆している。多くの人が最初の彼氏・彼女とゴールするのであれば、それに特別な感想を抱くことはないだろう。当たり前は心に留め置かれることはない。関係が不安定だからこそ確認作業が必要になるのだと私は思う。

 

今ではイルミネーションを見てもそういった感覚はない。すでに結婚しているからかもしれないが、それ以上にわざわざ再確認しなくても、自分は幸せなほうかな、と感じているからのような気がする。そうであれば、行くべき場所はイルミネーションである必要はなく、そこがスーパー銭湯であっても構わないのである。

 

さがみ湖温泉 うるり

 

今回もとても楽しかった。さて、次はどこに行こうか。

 

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↑プレジャーフォレストで買ったお土産。しょうゆごまふりかけは相模原市の会社が製造。けっこう美味しいのでおすすめ。「じゃがですよ」は甲州ほうとう味。なので、厳密には相模原市ではなくお隣の山梨県の名物。広域連携ということにしておこう 

 

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↑射的屋でもらった「う◯ちくんスーパーボール」に興味津々 

 

 

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ねぎもいいがスーパー銭湯もいい〜埼玉県深谷市訪問( 2017年10月29日)〜

 

 

今回は埼玉県深谷市

今回は埼玉県深谷市だ。人口は2017年10月で144,372人なり。地名の由来には諸説あるようで、ざっとネットで調べたところ、湿地帯の意味での「谷」を由来とする説や「茅」(かや)に由来するという説が出てきた。

 

深谷はねぎで有名だ。根深ねぎの一種である深谷ねぎの名を耳にしたことがある人も多いだろう。

 

今回はねぎというよりも「花湯の森」というスーパー銭湯がお目当て。本当は紅葉を見にどこかに行きたかったのだが、台風22号の襲来に伴う雨模様のお天気のため、予定を変更して穴場の温泉に行くことにしたのだ。ここは12歳以上しか入れないため、落ち着いて温泉を楽しむことができる。ファミリー層にとっては楽しくない話だろうが、それでもたまには子育てから開放されたい!というときがあって当然だから、そういうときのプチ贅沢にはもってこいの場所である。

 

深谷花園温泉 花湯の森 - トップページ

 

 

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 ↑生憎の雨模様であるが、それでも十分に美しい深谷駅駅舎。東京駅によく似ている。実際、ウィキペディアでは「現在の駅舎は東京駅の赤レンガ駅舎をモチーフにしたデザインで、「ミニ東京駅」とも呼ばれる」と紹介されている*1

 

タクシーにて深谷ねぎのローカルトークを聞く

花湯の森に行く人は気をつけたほうがいいのだが、2017年10月29日現在、ホームページの「バス利用」のアクセス情報は誤っている。「深谷市循環くるリン 南コース西循環 人見第2(南)下車徒歩5分」となっているが、正しくは「南部シャトル便」である。西循環便に乗っても人見第2には行けない。

 

コミュニティバス「くるリン」利用案内/深谷市ホームページ

 

というわけで間違って西循環のバスに乗ってしまったわれわれは当然ながら花湯の森にはたどり着けなかったわけで、結局駅に戻り、かといってバスは1時間に1本のペースで当分来ないため、タクシーで行くことにした。タクシーの運転手さん曰く、前にも同じ間違いをしたお客さんを乗せたらしく、っていうことは一向にウェブサイトを修正していないのか、とやや私はいらっとしたのであった。

 

が、深谷ねぎについて運転手さんが面白い話を聞かせてくれたので、まあ彼に免じて許すとしよう。相方が修正依頼をしたので、近いうちに直してくれるのではないかと期待。運転手さんも今度市長に伝えておく、と言ってくれた(以前、市長を乗せたらしい)。いい温泉だから早く直さないともったいないと思うし。 

 

で、深谷ねぎの話である。

 

深谷で生産されるならなんでも近い味になるというわけではないようだ。運転手さん曰く、深谷の北部の利根川沿いのほうが美味しいねぎが獲れるとのこと。ねぎは寒暖差が大きいほど美味しくなるのだが、北部の群馬県に近い地域のほうが寒暖差が大きいため同じ深谷でもより美味しいねぎが獲れるというわけである。北部の人間に言わせれば南部のは深谷ねぎとは言えないそうだ。あくまでタクシーの運転手さんの話であるが、得てして彼らは地域の事情通。県レベルなら北部と南部で気候の差があるのもわかるが、市内レベルでもそうした違いがあるということだから、地理というのは面白いものである。

 

もし本当に北部と南部で同じ深谷ねぎでも味に違いがあるなら、消費者としては北部産のねぎと書いて欲しいところもあるが、北部産のほうが味がいいなんて運転手さんに教えてもらわなければ知らなかったわけで、情報はただそこに提示されてもわれわれがその意味するところを理解できるとは限らない。話を聞く前であれば仮に北部産となって書かれていてもその意味を理解できなかったに違いないから、情報を得る側のリテラシーも重要なのだ。

 

そもそも深谷ネギの定義とはなんぞやと調べてみても意外にわからない。フカペディア(!!)の深谷ねぎのページも見たが、運転手さんの言う北部の土壌の質がいいというネタの裏はとれたが、肝心の定義はわからなかった。ブランディングしているわけだから、質へのこだわりはあるのだろうと推察するが。

 

深谷ねぎ - fukapedia

 

とりあえず、深谷市ウェブサイトにある深谷ねぎの紹介を転載しておく。

 

深谷ねぎは一年中収穫されますが、収穫期によって「春ねぎ」「夏ねぎ」「秋冬ねぎ」に分かれます。薬味やなべ物、お味噌汁などに欠かせないねぎですが、深谷ねぎの旬はなんといっても12月頃から出荷が始まる「秋冬ねぎ」。寒さで甘みが増す冬の時期、深谷の大地が育んだ、甘くてやわらかい深谷ねぎのおいしさをぜひ堪能してください*2

 

花湯の森で温泉を満喫

駅から15分ほどで花湯の森に到着する。写真では暗くてわからないが、通常のスーパー銭湯に比べると重厚感のある和風な造りとなっている。

 

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やや強めの雨が降る天気だからだろうか、それほど混んではいない。男性風呂のシャワーが4割から6割埋まる感じといったところ。湯船もだいぶスペースがあるし、運転手さんオススメの露天風呂コーナーの壷湯にも空きがあった。広くはないがリクライニングシートのある休憩室もあり、17時あたりはこちらも埋まり具合は6割くらい。

 

花湯の森のいいところは庭であろう。風呂自体もよいが、森や林とは言わないまでも木々に囲まれて外の世界と隔絶された感じになっている。多くのスーパー銭湯も木が周りに植えられているが、ここの木々には奥行きがあるのだ。実際のところ、最寄の深谷駅籠原駅からクルマで15分ぐらいだからある意味木がなくても隔絶はされているのだが、木々に奥行きがあることで同じ隔絶感でも孤立ではなく木々に囲まれているという気分になれる。

 

中庭もあり、縁側にはイスが設えられている。雨というのは、外出しなければいけないときはうっとおしいことこの上ないのだが、自分が屋根の下にいるときであれば、私は雨音を聞くととても癒される。しとしとという雨音。雨音は音のはずなのに、それ以外の雑音を消してくれるから、むしろ静寂感さえ感じる。耳をすませば雨のザーッと降る音と屋根や柱をつたって落ちるぴちゃんぴちゃんという音がコントラストある音色を奏でる。木々に囲まれて外部の人工的な音が聞こえにくいことも自然の音を味わえる空間を演出している。

 

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↑晩御飯に食べた煮ぼうとう。深谷出身の「日本資本主義の父」渋沢栄一が好きだったらしい。味噌仕立てが主流の甲州ほうとうとは違い、醤油仕立てのすっきりスープ。ねぎはもちろん深谷ねぎ。今回の探訪で深谷らしいことをしたといえば、この煮ぼうとうを食べたことだけであった。

 

帰りは無料送迎バスでお隣の熊谷市に位置する籠原駅に行く。私、ポテチが大好きで、ふっかちゃんポテチを買いたいと思っていたのだが、熊谷市に来てしまって買えなかった。今回は深谷市に来た、というよりは花湯の森に来た、という感じになってしまい、もっと市内をぶらぶらしたかったという一抹の後悔が残ったが、とりわけこのふっかちゃんポテチを買い損ねたことが一番悔やまれる。深谷市に再訪する機会があったら今度は絶対にふっかちゃんポテチを買おう。

 

ふっかちゃんポテトチップス | ふっかちゃんガイド 深谷市魅力発信ポータルサイト

 

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 さて次はどこへ行こうか。

 

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温泉天国〜山梨県山梨市訪問(2017年10月7日)〜

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山梨県山梨市を訪れる

今回は山梨県山梨市。なぜにここに来たかといえば、同市にある「はやぶさ温泉」に行きたかったから。季節の変わり目のせいもあってか、なかなか疲れがたまっていたので温泉に無性に入りたかったのである。

 

山梨 源泉掛け流し 日帰り入浴 | はやぶさ温泉

 

山梨市。人口は約36000人。市は一般的に人口50000人以上が基準だから、その意味で規模としてはかなり小ぶりなほうだ。

本日下車したのはJR中央線山梨市駅だが、なるほど、駅前の印象からしてさほど大きな街という様子はない。山梨県と同じ「山梨」という名前を冠しているからもっと大きな街かと思っていた。

 

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 ↑かわいいイラスト付き

 

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↑駅前

 

ちなみに山梨市駅という「市」を冠した駅名はウィキペディアで調べたら全国で40箇所程度はあるようだ。全国の駅の数が約9250駅なので珍しいには珍しいだろうが、自分で想像していたよりは数が多かった。

 

市駅 - Wikipedia

 

市名の由来が山梨県の山梨と同じとすれば、バラ科ナシ属の「ヤマナシ」が多いことが由来という説*1が有力説としてある一方、ウィキペディアは、「巷間に通説だとして流布している「山梨の由来はヤマナシ(山梨)の木が多かったから」というものはいささか単純すぎるものであり、語源としては「山ならす(山平らす)」が「やまなし」へと転化してゆき、それに好字としての「梨」の字を当てたと見るのが有力である*2」と説明する。

で、肝心の山梨県がどの説を採用しているかといえば、両論併記で諸説あるとしている*3

 

「やまなし」の由来は、くだもののヤマナシがたくさんとれたから、山をならして平地にした「山ならし」からきているなどたくさんの説があります。

 

諸説あるのは事実であるが、両論併記は公務員の公平性を重んじる性格を表すようでどこかおもしろい。

 

はやぶさ温泉への道中

とにもかくにも今日山梨市に来たのは「はやぶさ温泉」に入るためだ。山梨市にはもう一つ「ほったらかし温泉」というめちゃめちゃ有名な立ち寄り湯があるのだが、はやぶさ温泉もなかなかよさそうだったので、あえてこちらに行ってみた。結論から言えば、はやぶさ温泉もとてもいい温泉であった。

 

駅から温泉までは6キロ弱。クルマなら10分程度、徒歩なら1時間といったところだ。近くまでいくバスもあるが、残念ながらタイミングが悪く1時間以上待たなければならない状況。さりとてタクシーも味気ない。というわけで散策も兼ねて歩いていくことにした。

 

そもそもさして大きい街でもない。歩いてみたところでそれほどいろいろなものがあるわけでもないが、それでもやはり歩いてみれば何かはあるもので、オシャレな酒造&カフェや由緒正しき神社に巡り会えた。

 

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笛吹川

  

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↑大井俣窪八幡神社。とても荘厳な雰囲気。859年以来、1000年を超える歴史を持つ神社。

 

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↑閉店時間を過ぎていたため寄れなかったカフェ。酒造がやっているのでもちろんお酒も飲める。入り口から中を覗いたが洗練された感じに改装されており、開店中に来れなかったことが激しく悔やまれる。

 

山梨のちいさな酒蔵 養老酒造&酒蔵櫂

 

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↑紛らわしい校名。山梨市なのに「岩手」小学校。創立以来「まぎらわしい」と何度も突っ込まれてきたことだろう。

 

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↑立派なイチョウの木。石碑が立っていたので有名なイチョウと思われる。

 

はやぶさ温泉

1時間歩いてはやぶさ温泉に到着。1日の合計で1時間歩くことはあろうが、1時間歩き続けることは最近していなかった。日頃の仕事で蓄えた疲れと運動した心地よい疲労感、温泉に入るべき絶好のコンディションだ。温泉の効能にはたいてい「疲労回復」が含まれているものだから。

 

入浴料600円にレンタルタオルセット200円を加えて計800円をフロントで払う。

 

この日はやぶさ温泉に着いたのは18時前。スーパー銭湯というわけではないし、場所も場所、それほど混んでないだろうと予想していたが、ところがどっこい、なかなかの盛況ぶりだ。それも地元含有率が高いように見受けられる。

完全なる地元感。温泉の枠を超えた地元民の憩いの場。風呂場では地元民と思しき高齢者が来たる衆議院選挙の地元議員について話に花を咲かせ、広間ではこれまた地元民と思しき方々10名以上が宴会を繰り広げていた。地元に愛され、地元からしても近所の人に会える集いの場なのだろう。

  

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はやぶさ温泉到着

 

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 さあ、自分も服を脱いで、早速風呂に入るとしよう。

 

湯に浸かってみる。源泉掛け流しで、温度は肌感覚で40度くらいだろうか。江戸っ子でない私は熱いお湯が苦手。だからこれくらいの温度のほうがちょうどよい。すぐに肩まで疲れる。東京の下町の銭湯では熱すぎて肩まで浸かれないこともしばしば。加水するのも気がひけるし。そんな私にとってはこれくらいの温度がありがたいのだ。

 

温泉が身体に染み渡り、疲れがほぐされ消えていくようだ。は〜っていうため息とも喘ぎともいえぬ声が自然と口から漏れる。はやぶさ温泉と書いて、「至福」と読むと言ったところか。

 

来てよかった。。。

 

そもそもここはシャワーのお湯まで温泉な。お湯を出すとほのかに硫黄の香りが漂う。湯量が豊富なのであろう、温泉の使い方がなんとも贅沢ではないか。もっとも私の使ったシャワーの湯量は少なく水を足さないといけなかったのではあるが。

 

美肌の湯を名乗るだけあって、湯に浸かっている最中に肌が瑞々しくなっていった。男だから美肌への執着はないものの、肌がもちもちしていくのは温泉の効能を目に見えて感じるようで、なかなか楽しいものである。

 

飯を食べる

はやぶさ温泉では併設の大広間と食堂でご飯を食べられる。大広間はこぶりの宴会場といったところで、実際地元の人と思しき方々が宴会を繰り広げていた。宴会したり、飯食ったり、テレビ見てくつろいだり、各自めいめいがそれぞれの時間を満喫している。みんなそれぞれこの瞬間にそれぞれの幸せを楽しんでるんだなーっていう温かな雰囲気が充満した心地よい空間であった。もちろん私も幸せを感じていた一人であった。

 

はやぶさ温泉は、温泉好きには是非進めたい素晴らしい場所であった。ほったらかし温泉にも行きたいし、山梨市は温泉満足度が高い温泉天国といえるだろう。

 

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↑温泉水を売っている。おいしい 

 

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↑そばセット、五目串、映ってないけど豚の角煮。

 

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↑館内のなぞのマスコット

 

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山梨市もなんとも楽しい場所であった。さて、次はどこへ行こうか。

 

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【番外編】絶海の孤島、東京都青ヶ島村に行く(2017年8月21日ー23日)〜青ヶ島滞在編①〜

 

 60年前までミコさんが現役だった島

アクセスの難しい秘境として最近徐々に注目される青ヶ島。そんな秘境感を示すエピソードをひとつ。

 

よく青ヶ島は、神様の多い島だという。舎人(男子)とミコは、島の公私のあらゆる信仰行事に参加し、島民の生活万端にわたって、つよい影響力をもっている。

(中略)

青ヶ島のミコは、ある場合には公職的な祭祀者であり、またある場合には南島のユタのように、個人的な祈願呪術なども司どる。島の人たちのすべての分野にわたって、ミコは重要な立場にあるといえる。すべての行事が同一であるとさえいわれる八丈島と比較しても、このミコの機能という一点についてだけは、いちじるしい違いが見うけられる。

これは、すでに伊豆の島で消滅してしまった民間信仰の、そのもっとも原初的な形式が依存されているものか、あるいは絶望的な、といっていいくらい孤立した立地条件のゆえに、特殊な信仰形式が生じたものであるか、これから考えてみなければならない重要な問題のひとつであろう。とにかく、ミコがこれほど島の生活に重要な意義をもっている例は稀である (下記書、166-167頁)

 

離島生活の研究 (1975年)

離島生活の研究 (1975年)

 

 

地元の人や研究者から見ればどう映るのかわからないが、少なくとも私のようなフツーの観光客が訪れる限り、ミコさんが大きな影響力を振るった頃の面影はない。本書の調査は1950年前後に実施されたそうだから、その後の60年から70年の時代の経過によって島の生活も大きく変わったのだろう。かなり昔まで遡れば青ヶ島に限らず、日本各地にミコさんの影響力が大きかったコミュニティがあっただろうから、その意味で青ヶ島には日本の原風景が残るともいえそうだ(もっともミコさんカルチャーと言っても様々なタイプがあっただろうから簡単には一括りできないに違いない)。

 

 青ヶ島に上陸す

欠航率50パーセントとも言われるフェリーながら、奇跡的に穏やかな海に助けられて何の苦もなく青ヶ島に上陸。拍子抜けするほどあっさりと上陸できたが、そのお陰で美しいブルーの海を拝めることができた。幸先よし。 

 

mtautumn.hatenablog.com

 

青ヶ島の港からレンタカー会社までは遠いので、おじさんがレンタカーを港まで運んできてくれるシステム。レンタカー会社も宿もみな集落にあるが、車で20分、歩けば1時間かかるため、宿からはレンタカーの予約を勧められる。

 

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↑クルマは品川ナンバー

 

青ヶ島の港に着いたのは昼の12時前。気温は約30度の快晴。東京都とはいえ青ヶ島はもはや熱帯。真夏の日差したるや相当な強さであって、港に立っているだけでジリジリと肌の焼ける音が聞こえんばかりの暑さである。港には日差しを遮るものが何もない。と思っていたのだが、港からちょっと坂を上がったところに船の待合所があり、そこに行けば日差しを遮れるのであった。

 

出張で東南アジアに行くこともあるが、到着するのは国際空港で、そういった東南アジア諸国の空港はODAで建設されていることも多く、近代的で冷房も効いている。したがって、熱帯の東南アジアに降り立っても灼熱の太陽に肌を焦がされるなんて思いをすることはまずない。

それにゆり丸の船内はガンガンに冷房が効いていて、むしろ寒いくらいであったから、青ヶ島の真夏の太陽には正直面食らった。暑かった。熱気の檻に入ったかのようであった。

 

港からひんぎゃ、そして集落へ

集落へはレンタカーのおじさんが先導してくれる。途中「ひんぎゃ」と呼ばれる地熱を利用した施設を紹介してくれた。ひんぎゃとは水蒸気の噴出する穴であり、青ヶ島を紹介する雑誌、テレビ、ブログ等でほぼ必ず紹介される。暖房として使っていた時代もあったようだが、平たく言えば地熱を利用した蒸し器といったところだ。ひんぎゃには地熱窯があり、そこに食材を入れて数十分待てば蒸し料理の出来上がりというわけである。

 

火の際(ヒノキワ)が語源となっている「ひんぎゃ」。池之沢地区では、島言葉で「ひんぎゃ」と呼ばれる水蒸気の噴出する穴が無数に見られます。電気がない時代に、暖房や調理にひんぎゃを利用していました。

 

見どころ・遊びどころ | 青ヶ島村ホームページ

 

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↑こちらは到着日に村唯一の商店で買ったウインナー、じゃがいも、たまごを茹でる図 

 

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↑こちらは今回宿泊した「ビジネス宿中里」さんが用意してくれたひんぎゃ弁当。ホイルに包まれたのは魚(種類は忘れた)

 

 

青ヶ島はとても小さな島だ。それほど訪れるべき観光スポットがあるわけでもない。それゆえ観光客同士よく出会う。ひんぎゃはその中でも遭遇率の高い出会いの場(?)である。そもそも青ヶ島にはランチを出来るような飲食店がない。宿が一日三食用意してくれるが、ランチはひんぎゃ用お弁当だったりする。したがって、観光客はお昼を食べるためにひんぎゃに行かなければならないというわけである。ひんぎゃには日差しを遮れ、テーブルが置かれた小屋的なものがあるので、そこでひんぎゃで蒸したご飯を食べるわけだ。一つ屋根の下、隣に座る他の観光客の方々との会話が生まれたりもする。旅先での出会いを大事にする人にとっては楽しい時間を過ごせることだろう。

 

ひんぎゃは丸山(内輪山)と呼ばれる島の内側のカルデラの麓に位置する。ひんぎゃには地熱釜のほかに地熱を利用したサウナもある。

が、このひんぎゃ、サウナなんて要らないくらい暑い。熱帯であるうえに地熱あり。さらに言えば内輪山は外輪山に囲まれたいわば盆地的地形。照りつける太陽、地面からは地熱、そして熱を逃がさない盆地構造、これでもかというほど暑さを倍増させる諸条件がそろう。サウナ不要なほど暑い。特に日差しの下は。塗った日焼け止めは汗によってすぐに落ちた。そしてとても焼けた。肌を焼きたくなくば、日焼け止めは念入りに。

 

時間的には外輪山に登ることもできたが、強烈な日差しでけっこう疲れたので、この日はこれで宿で休むことにした。実際、青ヶ島八丈島での夏休みを満喫するためにその前の週に仕事を目処をつけようとして働いたら、睡眠時間が削られてしまいそもそも到着時点でその疲れが抜け切れてなかった。

青ヶ島の夏は暑いし、絶景は炎天下の中を歩いた先にある。なので、青ヶ島に来る前にはしっかり体力を温存することをオススメする。よく遊ぶためにも体力は必要ということが身にしみてわかった。 

 

若干の後悔と寄る年波には勝てないという敗北感を胸に、私は宿泊先である「ビジネス宿中里」さんに向かった。

 

ビジネス宿 中里【 口コミ・宿泊予約 】- トリップアドバイザー

 

 

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 ↑ひんぎゃ近くの遊歩道から内輪山の展望台に行ける。ただ、青ヶ島の特徴は二重カルデラ。内側のカルデラである内輪山からだと、ここが青ヶ島なのかどうかは判別しにくい。でも、景色はとてもキレイ。

 

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↑村唯一の商店の前で寝るネコたち

 

 

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↑グーグルマップで示される最短ルートは現在使用できない。村道もグーグルマップには反映されていないため、グーグルマップがやや使いづらい。

 

 

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【番外編】絶海の孤島、東京都青ヶ島村に行く(2017年8月21日ー23日)〜青ヶ島渡航編〜

 

 今回は東京都青ヶ島村である。市ではないので、番外編ということで。

当地に訪れたのは8月21日から23日。

 

風俗史に記される過酷な環境

最近でこそ秘境と称されて話題の青ヶ島。満天の星空が拝める地としても知られている。東京都ながらアクセスの難しい場所であり、二重カルデラという世界的にも珍しい地形もあって、秘境と呼ぶにふさわしい絶海の孤島である。

 

現代でもアクセス困難となれば、かつてであればなおさらアクセスが困難なわけであり、かつ島の面積が小さい以上、たくさんの農産物や家畜を生産することも困難であった。それゆえ、島の生活はかなり過酷なものであったようだ。

 

八丈島の人たちは、青ヶ島をさしてオンガシマと呼んでいる。これは青ヶ島という言葉の縮小されたものであるが、あまりにも交渉が不便な場所であるために、いつのまにか鬼ヶ島だと考えている人も多かった。

(中略)

この八丈と青ヶ島の距離は三六海里、十五里といわれているが、しかし実際はもっと遠い距離にある。八丈実記(巻八)によれば「文明六(甲午)年より享保四(己亥)年迄二百四十六年ノ間無恙二著岸シタルハナシ。多クハ國地ヘ漂流シ 或ハ行末を不知ニ至ル」と記録されているが、このふたつの島をはさんで流れる黒潮があまりにもはげしいために、両島の往来はむかしからきわめて難渋に満ちたものであった。正徳五年(一七一五)などには、まる三年かかって、江戸に漂着した青ヶ島の船が、八丈島にたどりつき、そして青ヶ島に向けて帰帆している。何年たっても、こうして無事に生きて帰れれば、それは幸運なほうであった。いちど島から出発すれば、その半数以上の船はほとんど消息を絶っている。

(中略)

青ヶ島との航海を、これほど危険をおかしてまで行わなければならなかったのは、何回かの噴火によって、青ヶ島の人たちの当面している難渋な生活を助けるためであった。

(中略)

わずか換金用として木炭の製造をしてはいるが、定期船がいつ入るかもわからないため、効果的な成果をあげていない。港がないために、いまもなお隔絶されたままの状態におかれており、これが島の生活面にいろいろの暗い形になってあらわれている。とくにミコなどの発言力が大きいということなども、島の厳しい立地条件を裏書きしているものと考えらえる(柳田國男指導・日本民俗学会『離島生活の研究』国書刊行会、1975年、153ー156頁(なお、調査票を配布したのが昭和25年7月と本書に書いてあるので、調査自体は1950年前後に実施されたものと思われる)。

 

離島生活の研究 (1975年)

離島生活の研究 (1975年)

 

 

 秘境を楽しむなんて気持ちを微塵も感じさせないこの冷ややかな筆致。よくよく考えてもみれば、それも無理はなかろう。 夜中に空を見上げてもほとんど星の見えない都会であればこそ、満天の星空はこの上なく非日常的で幻想的な光景である。しかし、昭和20年代であれば、星空を拝める場所なんてそこかしこにあったことだろう。わざわざ絶海の孤島まで行かなくても星空が見られるのであれば、なんで青ヶ島に行くなんて酔狂なことをするものか。昭和20年代の人の青ヶ島の描きかたが、ただただ不便で過酷な(そしてともすれば遅れた)場所となってしまうのも故なきことではないのである。

 

プラチナチケットのヘリコプターは予約できず

今回の旅は往復ともに船。ヘリコプターを予約しようと試みたが取れなかったのだ。ヘリコプターの予約は1ヶ月前から。事務所は9時開店で、私は9時30分に電話したらすでに満席とのこと。キャンセル待ち第1番目ではあったが、結局キャンセルは出なかった。

 

青ヶ島でヘリコプターで来たという年配のご夫婦に出会った。開店と同時に電話したそうで、それでも電話中でなかなか繋がらなかったとのこと。青ヶ島行きのヘリはまさしくプレミアムチケットなのだ。なにせ9席しかないのだ。船は就航率5割とも6割ともいわれる。少しでも確実性を増やすなら、やはりヘリしかない(ただし梅雨の時期は船のほうが欠航率が低かったりする)。

 

航路は八丈島から青ヶ島まで3時間。

ただいま青ヶ島丸は整備中ということで、代わりは産廃船の「ゆり丸」である。見た目、太平洋の荒波を越えていくにはやや不安なサイズ感。波静かな瀬戸内海をゆく四国フェリーのほうがよほど大きい(ゆり丸の総トン数は469トン*1四国フェリーの高松〜宇野線は987トン*2)。

 

あわや船に乗り遅れる

 ウェブサイトには八丈島の底土港を8時50分に出航と書いてある。余裕をもって8時30分に到着し、切符を買おうしたら、えっ!!、みたいなリアクションを売り子さんにされた。どう見間違えても20分も前に到着するなんてエライわねぇ、と私を褒め称える表情には見えない。

どうやら代替のゆり丸になったせいで、出航時間が8時30分に変更されていたらしい。売り子さんや港のスタッフの方々の好意により、出航しかかった船を岸に再接岸してもらい、無事に、というか、かなり慌ただしくもなんとか乗船することができた。

あの感じからしてあと1分遅れていたらアウトだったに違いない。自分の妙な悪運と港の方々のご好意に深く深く感謝しているうちに船は青ヶ島に向けて出航した。

 

あとで青ヶ島の人に聞くと、けっこう港の都合で出航時間が変更されるようだ。八丈島から青ヶ島の船便は一日一便。逃してしまえば翌日まで待つより他なく、欠航率の高さを考えれば一日の遅れが致命傷にもなりかねない。読者諸賢はくれぐれも用心されたし。

 

奇跡的にまで穏やかな海

写真を見ればわかっていただけようが、この日は奇跡的なまでに波のない日。船員さんからもラッキーだよ、と言われる。就航率5割、波を遮るものが何もない太平洋、乗船前はそもそも青ヶ島に行けるかどうか、乗ってみてもヒドイ船酔いに悩まされるのではないかととても不安だったのだが、毘沙門天も照覧あれ、そんな不安を一掃するかごときの快調な滑り出しである。

 

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↑遠くにうっすらと青ヶ島が見えてくる。下の地図の付近。

 

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↑奇跡的なまでに穏やかな海

 

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↑無事に接岸

 

順風満帆な3時間の航海ののち、無事にゆり丸は青ヶ島に到着したのである。あまりの順調さにレンタカーのおじさんは未だ港に到着していないのであった(港から集落まで距離があるので、レンタカー会社のおじさんが港までクルマを届けてくれるシステムになっている)。

 

就航率5割の絶海の孤島。日本で最も上陸困難な島と謳われる青ヶ島。あまりに順調に着いてしまったがゆえに自分が本当に青ヶ島に上陸したのか、いまいち実感が持てないのであった。

 

滞在編はまた後日。

 

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ベンチでくつろぐ謎のネコと茶褐色の湯、そして味噌バカ良店〜茨城県守谷市訪問(2017年7月22日)〜

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今回は茨城県守谷市 

今回訪れたのは茨城県守谷市である。降りたのはつくばエクスプレス守谷駅関東鉄道常総線も通っている、守谷市の中核エリアである。守谷駅あたりの住所はその名も「中央」。非常にわかりやすい。わかりやす過ぎて味気ないくらいであるが、ウィキペディアによれば、この住所名になったのは2010年のことで、それ以前は「海老原町」という名前だったそうだ*1

 

前日は飲んできたため就寝時間が遅く少し疲れていたので、守谷市にあるスーパー銭湯「きぬの湯」に入るつもりで来たのだが、せっかくだから街中をぶらぶらしてみた。

 

www.kinunoyu.com

 

守谷概観

それでは守谷市のウェブサイトとウィキペディアで同市の特徴を概観しよう。

2017年7月1日現在で人口は66,516人。東京の40キロ圏内に入っている。40キロ圏内がどの程度かといえば、横浜市や八王子市あたりに相当する。茨城県と言うと都内居住者からすると遠い印象があるが、守谷市は存外東京に近いところにあるのだなぁと意外な思いがする。改めて考えてみれば、つくばエクスプレスを使えば北千住や浅草、秋葉原には20〜30分程度で出られるわけで、通学・通勤先がそれらの駅なら十分通える場所である。

 

守谷市の人口・地理 守谷市公式サイト-Moriya City

 

 地名の由来ははっきりしないようだ。市のウェブサイトから守谷の由来を抜粋しよう。

 

守谷の地名の起こりは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のときにこの地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見て嘆賞せられ、「森なる哉(かな)」といわれました。これを漢訳して音読し「森哉(もりや)」となったという説があります。また、平将門がこの地に城を築いたとき、丘高く谷深くして守るに易き地ということから、守るに易き谷、転じて「守谷」となったという説がありますが、このことについては、はっきりしたことは判明していません。しかし、そのころの守谷は森がうっそうと茂り、その両側には入江が深く入り込んで、早くから人々が集まったところであったと思われます。

 

市の歴史 守谷市公式サイト-Moriya City

 

江戸時代初期は城下町として発展したが、その後は寒村になってしまったようだ。現在でも人口は65000人程度でとりたてて人口稠密地域というわけではないが、森は残っておらず、日本武尊が「森なる哉」と言った面影は微塵もない。本当に森が一面に広がっていたのだろうか?そんなに守谷近辺がガンガン開拓されたのであろうか?あまりに木々が鬱蒼としていては街として開発するにはかなり手間がかかってしまう。かつてであれば森林開拓や土木工事が不要な土地のほうが経済活動の拠点になりそうなものだが、それは歴史学を知らない素人の発想なのかもしれない。現在の光景を見ると、平将門説のほうがあり得そう。

 

カフェ〜守谷城址〜きぬの湯〜かげろう

北関東でよく見かけるヨークベニマル併設のカフェで暑い時間をやり過ごしてから、守谷城址、八坂神社、関東鉄道常総線新守谷駅に移動、きぬの湯、いちいち味噌にこだわる味噌バカの良店「かげろう」を訪ねた。

きぬの湯はお湯がいい。設備も整っているし、物産館が充実していたり、なかなかのスーパー銭湯。かげろうは味噌にこだわったお店で、面白そうな料理が多く目移りして注文を決めるのが大変であった。

 

↓かげろう

かげろう

食べログかげろう

 

現在の守谷は完全なベッドタウンで他所者がふと訪れて楽しめるような街でないものの、派手さはないが地味にいいお店があったりして、飲み会で疲れた身体はずいぶんと癒された。何の予定もない週末に気軽に温泉入って、美味しいご飯を肴に酒をチビチビやるのもなかなか乙だと思ったのであった。 

 

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 ↑守谷駅下車。特にこれといったものがない駅徒歩5分地点

 

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 ↑カフェでコーヒー

 

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↑なぞのアートたち。ネコがベンチの3分の1を占拠。タヌキの子供たちの戯れ

 

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 ↑マンホール。描かれている山百合は守谷市の花

 

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 ↑守谷城址

 

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 ↑29日は八坂神社の例大祭祇園祭)。あと一週間遅く来るべきだった

 

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 ↑いかにも「八坂神社前」になりそうな信号機だが、「保健センター前」

 

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 ↑守谷駅周辺。その名も「中央」

 

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守谷駅ホームに到着する関東鉄道常総線。全線非電化なのでディーゼル

 

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 ↑新守谷駅のホームから。のどかな田舎駅の趣き。電線がないからかもしれない

  

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新守谷駅は関東の駅100選の一つ

 

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↑きぬの湯。別に貸切風呂・家族風呂専用の別荘がある。お湯は茶褐色。スーパー銭湯だが、食堂のメニューにもこだわりがありそうな雰囲気を感じる

 

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 ↑かげろう。住宅街に突如現れる。

 

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↑味噌にこだわるメニューの数々。醤油っぽいのは味噌の上澄み。味は醤油に似ていて言われなければ本当に醤油と間違えてしまう。しかし、こういう「へ〜」って思わせてくれるお店は好きだ。野菜に合わせる味噌には浅利味噌と梅干味噌をチョイス。鮎に合わせるのは味噌塩なり

 

 

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