全国すべての市を制覇する旅に出た猫

日本にはたくさんの魅力ある市があるにもかかわらず、なかなか探訪する機会がないので、コツコツ全国の市に訪問してみようと思いました。このブログはそんな訪問の記録。

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温泉天国〜山梨県山梨市訪問(2017年10月7日)〜

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山梨県山梨市を訪れる

今回は山梨県山梨市。なぜにここに来たかといえば、同市にある「はやぶさ温泉」に行きたかったから。季節の変わり目のせいもあってか、なかなか疲れがたまっていたので温泉に無性に入りたかったのである。

 

山梨 源泉掛け流し 日帰り入浴 | はやぶさ温泉

 

山梨市。人口は約36000人。市は一般的に人口50000人以上が基準だから、その意味で規模としてはかなり小ぶりなほうだ。

本日下車したのはJR中央線山梨市駅だが、なるほど、駅前の印象からしてさほど大きな街という様子はない。山梨県と同じ「山梨」という名前を冠しているからもっと大きな街かと思っていた。

 

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 ↑かわいいイラスト付き

 

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↑駅前

 

ちなみに山梨市駅という「市」を冠した駅名はウィキペディアで調べたら全国で40箇所程度はあるようだ。全国の駅の数が約9250駅なので珍しいには珍しいだろうが、自分で想像していたよりは数が多かった。

 

市駅 - Wikipedia

 

市名の由来が山梨県の山梨と同じとすれば、バラ科ナシ属の「ヤマナシ」が多いことが由来という説*1が有力説としてある一方、ウィキペディアは、「巷間に通説だとして流布している「山梨の由来はヤマナシ(山梨)の木が多かったから」というものはいささか単純すぎるものであり、語源としては「山ならす(山平らす)」が「やまなし」へと転化してゆき、それに好字としての「梨」の字を当てたと見るのが有力である*2」と説明する。

で、肝心の山梨県がどの説を採用しているかといえば、両論併記で諸説あるとしている*3

 

「やまなし」の由来は、くだもののヤマナシがたくさんとれたから、山をならして平地にした「山ならし」からきているなどたくさんの説があります。

 

諸説あるのは事実であるが、両論併記は公務員の公平性を重んじる性格を表すようでどこかおもしろい。

 

はやぶさ温泉への道中

とにもかくにも今日山梨市に来たのは「はやぶさ温泉」に入るためだ。山梨市にはもう一つ「ほったらかし温泉」というめちゃめちゃ有名な立ち寄り湯があるのだが、はやぶさ温泉もなかなかよさそうだったので、あえてこちらに行ってみた。結論から言えば、はやぶさ温泉もとてもいい温泉であった。

 

駅から温泉までは6キロ弱。クルマなら10分程度、徒歩なら1時間といったところだ。近くまでいくバスもあるが、残念ながらタイミングが悪く1時間以上待たなければならない状況。さりとてタクシーも味気ない。というわけで散策も兼ねて歩いていくことにした。

 

そもそもさして大きい街でもない。歩いてみたところでそれほどいろいろなものがあるわけでもないが、それでもやはり歩いてみれば何かはあるもので、オシャレな酒造&カフェや由緒正しき神社に巡り会えた。

 

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笛吹川

  

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↑大井俣窪八幡神社。とても荘厳な雰囲気。859年以来、1000年を超える歴史を持つ神社。

 

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↑閉店時間を過ぎていたため寄れなかったカフェ。酒造がやっているのでもちろんお酒も飲める。入り口から中を覗いたが洗練された感じに改装されており、開店中に来れなかったことが激しく悔やまれる。

 

山梨のちいさな酒蔵 養老酒造&酒蔵櫂

 

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↑紛らわしい校名。山梨市なのに「岩手」小学校。創立以来「まぎらわしい」と何度も突っ込まれてきたことだろう。

 

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↑立派なイチョウの木。石碑が立っていたので有名なイチョウと思われる。

 

はやぶさ温泉

1時間歩いてはやぶさ温泉に到着。1日の合計で1時間歩くことはあろうが、1時間歩き続けることは最近していなかった。日頃の仕事で蓄えた疲れと運動した心地よい疲労感、温泉に入るべき絶好のコンディションだ。温泉の効能にはたいてい「疲労回復」が含まれているものだから。

 

入浴料600円にレンタルタオルセット200円を加えて計800円をフロントで払う。

 

この日はやぶさ温泉に着いたのは18時前。スーパー銭湯というわけではないし、場所も場所、それほど混んでないだろうと予想していたが、ところがどっこい、なかなかの盛況ぶりだ。それも地元含有率が高いように見受けられる。

完全なる地元感。温泉の枠を超えた地元民の憩いの場。風呂場では地元民と思しき高齢者が来たる衆議院選挙の地元議員について話に花を咲かせ、広間ではこれまた地元民と思しき方々10名以上が宴会を繰り広げていた。地元に愛され、地元からしても近所の人に会える集いの場なのだろう。

  

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はやぶさ温泉到着

 

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 さあ、自分も服を脱いで、早速風呂に入るとしよう。

 

湯に浸かってみる。源泉掛け流しで、温度は肌感覚で40度くらいだろうか。江戸っ子でない私は熱いお湯が苦手。だからこれくらいの温度のほうがちょうどよい。すぐに肩まで疲れる。東京の下町の銭湯では熱すぎて肩まで浸かれないこともしばしば。加水するのも気がひけるし。そんな私にとってはこれくらいの温度がありがたいのだ。

 

温泉が身体に染み渡り、疲れがほぐされ消えていくようだ。は〜っていうため息とも喘ぎともいえぬ声が自然と口から漏れる。はやぶさ温泉と書いて、「至福」と読むと言ったところか。

 

来てよかった。。。

 

そもそもここはシャワーのお湯まで温泉な。お湯を出すとほのかに硫黄の香りが漂う。湯量が豊富なのであろう、温泉の使い方がなんとも贅沢ではないか。もっとも私の使ったシャワーの湯量は少なく水を足さないといけなかったのではあるが。

 

美肌の湯を名乗るだけあって、湯に浸かっている最中に肌が瑞々しくなっていった。男だから美肌への執着はないものの、肌がもちもちしていくのは温泉の効能を目に見えて感じるようで、なかなか楽しいものである。

 

飯を食べる

はやぶさ温泉では併設の大広間と食堂でご飯を食べられる。大広間はこぶりの宴会場といったところで、実際地元の人と思しき方々が宴会を繰り広げていた。宴会したり、飯食ったり、テレビ見てくつろいだり、各自めいめいがそれぞれの時間を満喫している。みんなそれぞれこの瞬間にそれぞれの幸せを楽しんでるんだなーっていう温かな雰囲気が充満した心地よい空間であった。もちろん私も幸せを感じていた一人であった。

 

はやぶさ温泉は、温泉好きには是非進めたい素晴らしい場所であった。ほったらかし温泉にも行きたいし、山梨市は温泉満足度が高い温泉天国といえるだろう。

 

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↑温泉水を売っている。おいしい 

 

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↑そばセット、五目串、映ってないけど豚の角煮。

 

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↑館内のなぞのマスコット

 

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山梨市もなんとも楽しい場所であった。さて、次はどこへ行こうか。

 

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【番外編】絶海の孤島、東京都青ヶ島村に行く(2017年8月21日ー23日)〜青ヶ島滞在編①〜

 

 60年前までミコさんが現役だった島

アクセスの難しい秘境として最近徐々に注目される青ヶ島。そんな秘境感を示すエピソードをひとつ。

 

よく青ヶ島は、神様の多い島だという。舎人(男子)とミコは、島の公私のあらゆる信仰行事に参加し、島民の生活万端にわたって、つよい影響力をもっている。

(中略)

青ヶ島のミコは、ある場合には公職的な祭祀者であり、またある場合には南島のユタのように、個人的な祈願呪術なども司どる。島の人たちのすべての分野にわたって、ミコは重要な立場にあるといえる。すべての行事が同一であるとさえいわれる八丈島と比較しても、このミコの機能という一点についてだけは、いちじるしい違いが見うけられる。

これは、すでに伊豆の島で消滅してしまった民間信仰の、そのもっとも原初的な形式が依存されているものか、あるいは絶望的な、といっていいくらい孤立した立地条件のゆえに、特殊な信仰形式が生じたものであるか、これから考えてみなければならない重要な問題のひとつであろう。とにかく、ミコがこれほど島の生活に重要な意義をもっている例は稀である (下記書、166-167頁)

 

離島生活の研究 (1975年)

離島生活の研究 (1975年)

 

 

地元の人や研究者から見ればどう映るのかわからないが、少なくとも私のようなフツーの観光客が訪れる限り、ミコさんが大きな影響力を振るった頃の面影はない。本書の調査は1950年前後に実施されたそうだから、その後の60年から70年の時代の経過によって島の生活も大きく変わったのだろう。かなり昔まで遡れば青ヶ島に限らず、日本各地にミコさんの影響力が大きかったコミュニティがあっただろうから、その意味で青ヶ島には日本の原風景が残るともいえそうだ(もっともミコさんカルチャーと言っても様々なタイプがあっただろうから簡単には一括りできないに違いない)。

 

 青ヶ島に上陸す

欠航率50パーセントとも言われるフェリーながら、奇跡的に穏やかな海に助けられて何の苦もなく青ヶ島に上陸。拍子抜けするほどあっさりと上陸できたが、そのお陰で美しいブルーの海を拝めることができた。幸先よし。 

 

mtautumn.hatenablog.com

 

青ヶ島の港からレンタカー会社までは遠いので、おじさんがレンタカーを港まで運んできてくれるシステム。レンタカー会社も宿もみな集落にあるが、車で20分、歩けば1時間かかるため、宿からはレンタカーの予約を勧められる。

 

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↑クルマは品川ナンバー

 

青ヶ島の港に着いたのは昼の12時前。気温は約30度の快晴。東京都とはいえ青ヶ島はもはや熱帯。真夏の日差したるや相当な強さであって、港に立っているだけでジリジリと肌の焼ける音が聞こえんばかりの暑さである。港には日差しを遮るものが何もない。と思っていたのだが、港からちょっと坂を上がったところに船の待合所があり、そこに行けば日差しを遮れるのであった。

 

出張で東南アジアに行くこともあるが、到着するのは国際空港で、そういった東南アジア諸国の空港はODAで建設されていることも多く、近代的で冷房も効いている。したがって、熱帯の東南アジアに降り立っても灼熱の太陽に肌を焦がされるなんて思いをすることはまずない。

それにゆり丸の船内はガンガンに冷房が効いていて、むしろ寒いくらいであったから、青ヶ島の真夏の太陽には正直面食らった。暑かった。熱気の檻に入ったかのようであった。

 

港からひんぎゃ、そして集落へ

集落へはレンタカーのおじさんが先導してくれる。途中「ひんぎゃ」と呼ばれる地熱を利用した施設を紹介してくれた。ひんぎゃとは水蒸気の噴出する穴であり、青ヶ島を紹介する雑誌、テレビ、ブログ等でほぼ必ず紹介される。暖房として使っていた時代もあったようだが、平たく言えば地熱を利用した蒸し器といったところだ。ひんぎゃには地熱窯があり、そこに食材を入れて数十分待てば蒸し料理の出来上がりというわけである。

 

火の際(ヒノキワ)が語源となっている「ひんぎゃ」。池之沢地区では、島言葉で「ひんぎゃ」と呼ばれる水蒸気の噴出する穴が無数に見られます。電気がない時代に、暖房や調理にひんぎゃを利用していました。

 

見どころ・遊びどころ | 青ヶ島村ホームページ

 

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↑こちらは到着日に村唯一の商店で買ったウインナー、じゃがいも、たまごを茹でる図 

 

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↑こちらは今回宿泊した「ビジネス宿中里」さんが用意してくれたひんぎゃ弁当。ホイルに包まれたのは魚(種類は忘れた)

 

 

青ヶ島はとても小さな島だ。それほど訪れるべき観光スポットがあるわけでもない。それゆえ観光客同士よく出会う。ひんぎゃはその中でも遭遇率の高い出会いの場(?)である。そもそも青ヶ島にはランチを出来るような飲食店がない。宿が一日三食用意してくれるが、ランチはひんぎゃ用お弁当だったりする。したがって、観光客はお昼を食べるためにひんぎゃに行かなければならないというわけである。ひんぎゃには日差しを遮れ、テーブルが置かれた小屋的なものがあるので、そこでひんぎゃで蒸したご飯を食べるわけだ。一つ屋根の下、隣に座る他の観光客の方々との会話が生まれたりもする。旅先での出会いを大事にする人にとっては楽しい時間を過ごせることだろう。

 

ひんぎゃは丸山(内輪山)と呼ばれる島の内側のカルデラの麓に位置する。ひんぎゃには地熱釜のほかに地熱を利用したサウナもある。

が、このひんぎゃ、サウナなんて要らないくらい暑い。熱帯であるうえに地熱あり。さらに言えば内輪山は外輪山に囲まれたいわば盆地的地形。照りつける太陽、地面からは地熱、そして熱を逃がさない盆地構造、これでもかというほど暑さを倍増させる諸条件がそろう。サウナ不要なほど暑い。特に日差しの下は。塗った日焼け止めは汗によってすぐに落ちた。そしてとても焼けた。肌を焼きたくなくば、日焼け止めは念入りに。

 

時間的には外輪山に登ることもできたが、強烈な日差しでけっこう疲れたので、この日はこれで宿で休むことにした。実際、青ヶ島八丈島での夏休みを満喫するためにその前の週に仕事を目処をつけようとして働いたら、睡眠時間が削られてしまいそもそも到着時点でその疲れが抜け切れてなかった。

青ヶ島の夏は暑いし、絶景は炎天下の中を歩いた先にある。なので、青ヶ島に来る前にはしっかり体力を温存することをオススメする。よく遊ぶためにも体力は必要ということが身にしみてわかった。 

 

若干の後悔と寄る年波には勝てないという敗北感を胸に、私は宿泊先である「ビジネス宿中里」さんに向かった。

 

ビジネス宿 中里【 口コミ・宿泊予約 】- トリップアドバイザー

 

 

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 ↑ひんぎゃ近くの遊歩道から内輪山の展望台に行ける。ただ、青ヶ島の特徴は二重カルデラ。内側のカルデラである内輪山からだと、ここが青ヶ島なのかどうかは判別しにくい。でも、景色はとてもキレイ。

 

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↑村唯一の商店の前で寝るネコたち

 

 

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↑グーグルマップで示される最短ルートは現在使用できない。村道もグーグルマップには反映されていないため、グーグルマップがやや使いづらい。

 

 

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【番外編】絶海の孤島、東京都青ヶ島村に行く(2017年8月21日ー23日)〜青ヶ島渡航編〜

 

 今回は東京都青ヶ島村である。市ではないので、番外編ということで。

当地に訪れたのは8月21日から23日。

 

風俗史に記される過酷な環境

最近でこそ秘境と称されて話題の青ヶ島。満天の星空が拝める地としても知られている。東京都ながらアクセスの難しい場所であり、二重カルデラという世界的にも珍しい地形もあって、秘境と呼ぶにふさわしい絶海の孤島である。

 

現代でもアクセス困難となれば、かつてであればなおさらアクセスが困難なわけであり、かつ島の面積が小さい以上、たくさんの農産物や家畜を生産することも困難であった。それゆえ、島の生活はかなり過酷なものであったようだ。

 

八丈島の人たちは、青ヶ島をさしてオンガシマと呼んでいる。これは青ヶ島という言葉の縮小されたものであるが、あまりにも交渉が不便な場所であるために、いつのまにか鬼ヶ島だと考えている人も多かった。

(中略)

この八丈と青ヶ島の距離は三六海里、十五里といわれているが、しかし実際はもっと遠い距離にある。八丈実記(巻八)によれば「文明六(甲午)年より享保四(己亥)年迄二百四十六年ノ間無恙二著岸シタルハナシ。多クハ國地ヘ漂流シ 或ハ行末を不知ニ至ル」と記録されているが、このふたつの島をはさんで流れる黒潮があまりにもはげしいために、両島の往来はむかしからきわめて難渋に満ちたものであった。正徳五年(一七一五)などには、まる三年かかって、江戸に漂着した青ヶ島の船が、八丈島にたどりつき、そして青ヶ島に向けて帰帆している。何年たっても、こうして無事に生きて帰れれば、それは幸運なほうであった。いちど島から出発すれば、その半数以上の船はほとんど消息を絶っている。

(中略)

青ヶ島との航海を、これほど危険をおかしてまで行わなければならなかったのは、何回かの噴火によって、青ヶ島の人たちの当面している難渋な生活を助けるためであった。

(中略)

わずか換金用として木炭の製造をしてはいるが、定期船がいつ入るかもわからないため、効果的な成果をあげていない。港がないために、いまもなお隔絶されたままの状態におかれており、これが島の生活面にいろいろの暗い形になってあらわれている。とくにミコなどの発言力が大きいということなども、島の厳しい立地条件を裏書きしているものと考えらえる(柳田國男指導・日本民俗学会『離島生活の研究』国書刊行会、1975年、153ー156頁(なお、調査票を配布したのが昭和25年7月と本書に書いてあるので、調査自体は1950年前後に実施されたものと思われる)。

 

離島生活の研究 (1975年)

離島生活の研究 (1975年)

 

 

 秘境を楽しむなんて気持ちを微塵も感じさせないこの冷ややかな筆致。よくよく考えてもみれば、それも無理はなかろう。 夜中に空を見上げてもほとんど星の見えない都会であればこそ、満天の星空はこの上なく非日常的で幻想的な光景である。しかし、昭和20年代であれば、星空を拝める場所なんてそこかしこにあったことだろう。わざわざ絶海の孤島まで行かなくても星空が見られるのであれば、なんで青ヶ島に行くなんて酔狂なことをするものか。昭和20年代の人の青ヶ島の描きかたが、ただただ不便で過酷な(そしてともすれば遅れた)場所となってしまうのも故なきことではないのである。

 

プラチナチケットのヘリコプターは予約できず

今回の旅は往復ともに船。ヘリコプターを予約しようと試みたが取れなかったのだ。ヘリコプターの予約は1ヶ月前から。事務所は9時開店で、私は9時30分に電話したらすでに満席とのこと。キャンセル待ち第1番目ではあったが、結局キャンセルは出なかった。

 

青ヶ島でヘリコプターで来たという年配のご夫婦に出会った。開店と同時に電話したそうで、それでも電話中でなかなか繋がらなかったとのこと。青ヶ島行きのヘリはまさしくプレミアムチケットなのだ。なにせ9席しかないのだ。船は就航率5割とも6割ともいわれる。少しでも確実性を増やすなら、やはりヘリしかない(ただし梅雨の時期は船のほうが欠航率が低かったりする)。

 

航路は八丈島から青ヶ島まで3時間。

ただいま青ヶ島丸は整備中ということで、代わりは産廃船の「ゆり丸」である。見た目、太平洋の荒波を越えていくにはやや不安なサイズ感。波静かな瀬戸内海をゆく四国フェリーのほうがよほど大きい(ゆり丸の総トン数は469トン*1四国フェリーの高松〜宇野線は987トン*2)。

 

あわや船に乗り遅れる

 ウェブサイトには八丈島の底土港を8時50分に出航と書いてある。余裕をもって8時30分に到着し、切符を買おうしたら、えっ!!、みたいなリアクションを売り子さんにされた。どう見間違えても20分も前に到着するなんてエライわねぇ、と私を褒め称える表情には見えない。

どうやら代替のゆり丸になったせいで、出航時間が8時30分に変更されていたらしい。売り子さんや港のスタッフの方々の好意により、出航しかかった船を岸に再接岸してもらい、無事に、というか、かなり慌ただしくもなんとか乗船することができた。

あの感じからしてあと1分遅れていたらアウトだったに違いない。自分の妙な悪運と港の方々のご好意に深く深く感謝しているうちに船は青ヶ島に向けて出航した。

 

あとで青ヶ島の人に聞くと、けっこう港の都合で出航時間が変更されるようだ。八丈島から青ヶ島の船便は一日一便。逃してしまえば翌日まで待つより他なく、欠航率の高さを考えれば一日の遅れが致命傷にもなりかねない。読者諸賢はくれぐれも用心されたし。

 

奇跡的にまで穏やかな海

写真を見ればわかっていただけようが、この日は奇跡的なまでに波のない日。船員さんからもラッキーだよ、と言われる。就航率5割、波を遮るものが何もない太平洋、乗船前はそもそも青ヶ島に行けるかどうか、乗ってみてもヒドイ船酔いに悩まされるのではないかととても不安だったのだが、毘沙門天も照覧あれ、そんな不安を一掃するかごときの快調な滑り出しである。

 

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↑遠くにうっすらと青ヶ島が見えてくる。下の地図の付近。

 

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↑奇跡的なまでに穏やかな海

 

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↑無事に接岸

 

順風満帆な3時間の航海ののち、無事にゆり丸は青ヶ島に到着したのである。あまりの順調さにレンタカーのおじさんは未だ港に到着していないのであった(港から集落まで距離があるので、レンタカー会社のおじさんが港までクルマを届けてくれるシステムになっている)。

 

就航率5割の絶海の孤島。日本で最も上陸困難な島と謳われる青ヶ島。あまりに順調に着いてしまったがゆえに自分が本当に青ヶ島に上陸したのか、いまいち実感が持てないのであった。

 

滞在編はまた後日。

 

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ベンチでくつろぐ謎のネコと茶褐色の湯、そして味噌バカ良店〜茨城県守谷市訪問(2017年7月22日)〜

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今回は茨城県守谷市 

今回訪れたのは茨城県守谷市である。降りたのはつくばエクスプレス守谷駅関東鉄道常総線も通っている、守谷市の中核エリアである。守谷駅あたりの住所はその名も「中央」。非常にわかりやすい。わかりやす過ぎて味気ないくらいであるが、ウィキペディアによれば、この住所名になったのは2010年のことで、それ以前は「海老原町」という名前だったそうだ*1

 

前日は飲んできたため就寝時間が遅く少し疲れていたので、守谷市にあるスーパー銭湯「きぬの湯」に入るつもりで来たのだが、せっかくだから街中をぶらぶらしてみた。

 

www.kinunoyu.com

 

守谷概観

それでは守谷市のウェブサイトとウィキペディアで同市の特徴を概観しよう。

2017年7月1日現在で人口は66,516人。東京の40キロ圏内に入っている。40キロ圏内がどの程度かといえば、横浜市や八王子市あたりに相当する。茨城県と言うと都内居住者からすると遠い印象があるが、守谷市は存外東京に近いところにあるのだなぁと意外な思いがする。改めて考えてみれば、つくばエクスプレスを使えば北千住や浅草、秋葉原には20〜30分程度で出られるわけで、通学・通勤先がそれらの駅なら十分通える場所である。

 

守谷市の人口・地理 守谷市公式サイト-Moriya City

 

 地名の由来ははっきりしないようだ。市のウェブサイトから守谷の由来を抜粋しよう。

 

守谷の地名の起こりは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のときにこの地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見て嘆賞せられ、「森なる哉(かな)」といわれました。これを漢訳して音読し「森哉(もりや)」となったという説があります。また、平将門がこの地に城を築いたとき、丘高く谷深くして守るに易き地ということから、守るに易き谷、転じて「守谷」となったという説がありますが、このことについては、はっきりしたことは判明していません。しかし、そのころの守谷は森がうっそうと茂り、その両側には入江が深く入り込んで、早くから人々が集まったところであったと思われます。

 

市の歴史 守谷市公式サイト-Moriya City

 

江戸時代初期は城下町として発展したが、その後は寒村になってしまったようだ。現在でも人口は65000人程度でとりたてて人口稠密地域というわけではないが、森は残っておらず、日本武尊が「森なる哉」と言った面影は微塵もない。本当に森が一面に広がっていたのだろうか?そんなに守谷近辺がガンガン開拓されたのであろうか?あまりに木々が鬱蒼としていては街として開発するにはかなり手間がかかってしまう。かつてであれば森林開拓や土木工事が不要な土地のほうが経済活動の拠点になりそうなものだが、それは歴史学を知らない素人の発想なのかもしれない。現在の光景を見ると、平将門説のほうがあり得そう。

 

カフェ〜守谷城址〜きぬの湯〜かげろう

北関東でよく見かけるヨークベニマル併設のカフェで暑い時間をやり過ごしてから、守谷城址、八坂神社、関東鉄道常総線新守谷駅に移動、きぬの湯、いちいち味噌にこだわる味噌バカの良店「かげろう」を訪ねた。

きぬの湯はお湯がいい。設備も整っているし、物産館が充実していたり、なかなかのスーパー銭湯。かげろうは味噌にこだわったお店で、面白そうな料理が多く目移りして注文を決めるのが大変であった。

 

↓かげろう

かげろう

食べログかげろう

 

現在の守谷は完全なベッドタウンで他所者がふと訪れて楽しめるような街でないものの、派手さはないが地味にいいお店があったりして、飲み会で疲れた身体はずいぶんと癒された。何の予定もない週末に気軽に温泉入って、美味しいご飯を肴に酒をチビチビやるのもなかなか乙だと思ったのであった。 

 

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 ↑守谷駅下車。特にこれといったものがない駅徒歩5分地点

 

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 ↑カフェでコーヒー

 

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↑なぞのアートたち。ネコがベンチの3分の1を占拠。タヌキの子供たちの戯れ

 

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 ↑マンホール。描かれている山百合は守谷市の花

 

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 ↑守谷城址

 

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 ↑29日は八坂神社の例大祭祇園祭)。あと一週間遅く来るべきだった

 

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 ↑いかにも「八坂神社前」になりそうな信号機だが、「保健センター前」

 

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 ↑守谷駅周辺。その名も「中央」

 

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守谷駅ホームに到着する関東鉄道常総線。全線非電化なのでディーゼル

 

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 ↑新守谷駅のホームから。のどかな田舎駅の趣き。電線がないからかもしれない

  

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新守谷駅は関東の駅100選の一つ

 

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↑きぬの湯。別に貸切風呂・家族風呂専用の別荘がある。お湯は茶褐色。スーパー銭湯だが、食堂のメニューにもこだわりがありそうな雰囲気を感じる

 

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 ↑かげろう。住宅街に突如現れる。

 

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↑味噌にこだわるメニューの数々。醤油っぽいのは味噌の上澄み。味は醤油に似ていて言われなければ本当に醤油と間違えてしまう。しかし、こういう「へ〜」って思わせてくれるお店は好きだ。野菜に合わせる味噌には浅利味噌と梅干味噌をチョイス。鮎に合わせるのは味噌塩なり

 

 

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名は体を表す〜群馬県みどり市を訪問する(2017年7月15日)

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群馬県みどり市訪問 

今回訪れたのは群馬県みどり市である。平仮名地名から連想できるとおり、平成の合併によって新しく誕生した市だ。これまた名前から簡単に連想できるが、市名の由来は次の通り*1

 

 笠懸町・大間々町・東村合併協議会での市名の選定理由は以下の3点。

  • みどり豊かな自然のあふれる、美しい街並みの市にしてもらいたい。
  • 自然を大切にし、自然と共に栄えていくように。
  • 明るく平和で清々しく、安心して生活でき、癒しのあるイメージ。

 

地名研究者が怒髪天を衝いて怒りそうな市名由来である。私は必ずしも歴史に即さなければならないとは思わないが、とはいえさすがにみどり市とはざっくりしすぎの名前である。ありふれた一般名称すぎて群馬県とは結びつかないし、風光明媚なわたらせ渓谷鐵道とも結びつかない。ニュータウンによくある「緑が丘」的な感じがしてしまい、むしろ山水の景色よりも都会のニュータウン、そびえるマンション群みたいな感じがしてしまう。さすがに他の名前でもよかったんじゃないかなぁ、と思ってしまう。

 

mtautumn.hatenablog.com

  

mtautumn.hatenablog.com

 

みどり市という市名。。。 

ウィキペディアによると他の市名候補もあったようだ。その中でなぜに合併協議会がみどり市をいいと思ったのか、逆にいえばなぜ他の候補がダメと思ったのか、その根拠がよくわからない(合併協議会のウェブサイトがリンク切れ)。合併協議会には大学の教授などが名を連ねていたはずだが、こんな名前を選ぶようでは有識者に委ねた意味がなくなってしまう。

 

そもそもなぜに合併協議会に市名の最終決定を委ねるのか?民主主義だし住民の投票で決定すればよいのだ。有識者による委員会で決定するのは、世論に委ねると非合理的な名前を選びかねず、それでは市政にもそこに住む住民にとっても不利益であるというパターナリズムがあるように思われる。しかし、実際に合併協議会に選ばせた市名がみどり市である。結果論だが有識者に委ねた意味はあったのだろうか?これなら住民の投票のほうがまともな結果になったのではないか。少なくとも、住民の投票でみどり市になったとしたら、それは自分たちの責任として納得感を得られようが、どこの誰だか知らない第三者によって妙な市名を選ばれては納得しづらいのではないか。

それとも住民全員が全会一致で市名を選ぶことをないから、必ず票は割れ、選ばれなかった市名の支持者は新市名が気に食わず、ひいては新市名を選んだ人を嫌いになり、新たな市の一体感醸成を妨げるかもしれない。合併協議会という責任転嫁できるスケープゴートを用意したのかもしれない。

 

ところで、みどり市とお隣の桐生市との間で合併の話が出ていたらしい。研究会まで立ち上げられていろいろ調査が進められていたようだが、最終的にはご破算になってしまったようだ。みどり市側では4割が合併に賛成したが、6割は反対だった。

みどり市側の主な反対理由に、まずは市の一体性を高めることを優先する必要があるも指摘されている。単なる反対のための方便なのか、それとも合併して10年程度では一体性を達成するのは難しいのだろうか。

 

www.city.midori.gunma.jp

 

名前に違わず緑豊富なみどり市 

散々名前についてやんや言ったものの、同市に緑が豊富なのは間違いない。 トロッコ列車で有名なわたらせ渓谷鐵道が市内を縦断しているのだ。わたらせ渓谷鐵道の写真などを見たことがある人はわかるだろうが、まさにみどり市は緑豊富な街なのである。

 

市名の是非はともかく、街中を散策しよう。今回のルートだが、東京から東武線で赤城駅まで行き、そこで昼ごはんを食べ、わたらせ渓谷鐵道大間々駅から神戸(ごうど)に行き、徒歩で沢入(そうり)駅まで移動。大間々駅からは運良くトロッコ列車に乗ることができた。関東に住んでいるとわたらせ渓谷線トロッコ列車はよく聞くこともあって、一度は乗ってみたいと思っていた。紅葉の時期だとなかなか席を確保できないようだが、連休初日とはいえ、紅葉シーズンではなかったのがよかったのだろう。

発車するときにディーゼルエンジンが起動する音が力強い。普段は電車を使っているので、このディーゼルエンジンの音は旅情を感じさせてくれるように思う。

 

わたらせ渓谷鉄道はもともとは国鉄の足尾線であり、足尾銅山などから産出される鉱物資源を輸送するための路線であった。しかし、足尾銅山が閉鎖され利用客が減少したため採算性が悪化、群馬県、関係市町村、地元企業が出資する第三セクター鉄道となったのである。

経営母体が第三セクターになったからといって、鉱山が復活し、利用客が戻ってくるわけではない。沿線住民がクルマを主に使うようになって益々採算性が悪化したことから、渡良瀬川の美しい景観を活かしたトロッコ列車に再生を賭けたのである。そうした苦境とそれを乗り越えようとする努力がトロッコ列車という収益源の誕生につながったのである(谷川、下記書、pp.65-68)。 

 

ニッポン 鉄道の旅68選 (平凡社新書)

ニッポン 鉄道の旅68選 (平凡社新書)

 

 

限られたエリアを探訪しただけとはいえ、さすがわたらせ渓谷鐵道を抱えるだけあって緑が豊富で楽しかった。

 

写真一覧

 

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↑地方都市で良く見かける有害図書排除活動

 

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 ↑思わず見返してしまう(?)地名。すももも桃も桃のうちのような

 

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赤城駅から大間々駅の途中にあった食堂。けっこう食べる場所が少なかったので、まさに救世主的存在

 

いし和楽(赤城/和食) | ホットペッパーグルメ

 

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 ↑頼んだのはもちろん上州名物のソースカツ丼。蕎麦はオススメしない。お店としてもうどん推しだった気がする

 

 

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わたらせ渓谷鐵道の切符。昔ながらの硬券

 

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 ↑トロッコ列車の車窓から

 

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 ↑行く時間がなかったが、温泉が併設された水沼駅。なぜに河童の一人(一匹?)が直江兼続風の兜なのか?右下にサインがあるということは名のある作家の作品?

 

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トロッコ列車

 

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 ↑神戸駅に併設された昔の特急を改造したレストラン。トロッコ列車は涼しくはなかったので、冷房が効いた店内は天国

 

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↑意外にボリュームのあった舞茸天ぷら

 

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 ↑神戸駅〜沢入駅。誰にも会うことのなかったハイキングコース。しかし、隔絶された場所だといきなり人に出会ってもちょっとドキッとするかも

 

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 ↑神戸駅〜沢入駅。道中に見つけたなぞのモアイ(?)像。ここは集合場所になり得るか?もっとも渋谷にあるのはモヤイ像だが

 

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↑なぞのモアイ像の場所 

 

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神戸駅〜沢入駅。写真では伝わりにくいが、けっこうな威容を誇る草木ダム。ダム湖百選の一つ。日本にはいろんな百選があるが、ダム湖百選を管理するのは一般財団法人水資源地管理センター。いかにも国交省天下りの受け皿っぽいが、実際理事長は元国交省の局長

 

ダム湖百選

 

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 ↑神戸駅〜沢入駅。道中のドライブインで買ったご当地名物よもぎまんじゅうアイス。250円と少々強気の価格設定だが、素朴なよもぎの風味とこんにゃくのプニプニ感がミックスされたなかなかの力作

 

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 ↑法務省主唱の社会を明るくする運動。全然知らなかったが、戦後すぐに開始された啓発活動。山中でこののぼりを見たが、運動の趣旨からすれば東京の街中こそ必要?

 

法務省:第67回“社会を明るくする運動”~犯罪や非行を防止し,立ち直りを支える地域のチカラ~

 

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 ↑沢入駅着。あじさいの咲く無人

 

 

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 ↑時間があったのでわたらせ渓谷線の終着駅の間藤駅まで。間藤駅みどり市ではなく、栃木県日光市

 

 

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トロッコ列車もいいが、案外通常の車両のほうが旅情あり(?)

 

 

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ラーメン、うどん、おしゃれカフェ、神社、デパート、モノレール、電車、公園なんでもござれの中核エリア〜東京都立川市(2017年7月1日訪問)〜

  

今回は東京都立川市 

今回は東京都立川市。2017年6月1日現在で、人口は182,869人である。

 

平成29年度住民基本台帳登録の町丁別人口(4月分から30年3月分まで) | 立川市

 

立川市のウェブサイトによると、立川の地名の由来は諸説あるらしい。

 

 立川市の名前の由来について、『立川の地名』(立川市教育委員会)には、国府の前を東西方向に流れる多摩川を日の経(たて)の川と呼んだとすることに由来する、たてかわ説
普済寺に館(たち)があったことに由来する、館(たち)川説
多摩川の早い瀬に由来する湍川(たぎちかわ)説
経(たて)の川は東にある川であるとする東の川説
立川氏が居住していたことに由来する立川氏説
など様々な説が紹介されています。しかし、いずれの説も確証に欠け正しいことは分かっておりません。

 

立川市の概要 | 立川市

 

伊勢丹高島屋、その他商業施設が立ち並ぶ東京西部を代表する中核的な市である。東京東部に住んでいるとなかなか訪れることはないが、駅前の発展ぶりにはなかなか驚かされる。

 

折しも東京都議選で、立川駅前に小池百合子氏が応援演説に来ており、人だかりが出来ていた。

築地市場の移転問題はまさに築地と晴海の両方の顔を立て、選挙で勝つことを最優先した政治的結論で、到底実現可能性なんて何一つ考慮されていないものであった。小池氏と都民ファーストへの期待感は萎んだが、とはいえ自民党は不祥事続き、民進党は頼りない。間接民主主義の欠点は立候補した人しか選べないことにある。現状に閉塞感を感じるが、立候補者に現状打破を期待できない場合、どうしても過激な発言をする異端視や英雄の登場を待望してしまう。その危うい願望は民主主義への信頼度を低下させてしまうおそれがあるのではないか。

 

昼ごはんのラーメン

さて、立川市に話を戻そう。

 

昼ごはんはラーメン屋の「鏡花」だ。有名なラーメン屋で、内装がシックでとてもおしゃれ。こちらのお店には過去も何度か訪れていて醤油ラーメンは経験済みなので、今回はまだ食べたことのないつけ麺にした。

 

鏡花

食べログ鏡花

 

普通の醤油ラーメンもたまり醤油の甘みが効いているが、つけ麺も同様にたまり醤油の甘みが主張している。香味油には少しラー油っぽさを感じる。具もしかりだが、とても丁寧な仕事ぶりが伝わる上品なラーメンだ。ラーメンを照らすためだけの卓上照明があったり、店員さんが椅子をひいてくれたり、ラーメン屋らしからぬサービスである。

 

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↑立川を代表する鏡花のラーメンは実食の価値あり 

 

玉川上水から立川駅まで南下

立川市をぶらぶらするために、多摩モノレールで北上し、玉川上水駅から芋窪街道を南下して立川駅を目指す。ほぼモノレールに沿って歩く感じである。

道中特にめぼしいものがあるわけではないが、駅前はかなりの発展ぶりを見せる立川も、ちょっと足を伸ばせば多摩丘陵ののどかな雰囲気を味わえる。立川駅に近づくにつれて、ららぽーとがあったり、IKEAがあったり、商業都市の顔をのぞかせるようになる。

 

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玉川上水

 

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玉川上水付近ののどかな風景

 

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立川駅までの道中 

 

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↑タチヒビーチとはなんぞや?と思ったが(タヒチではない)、正解はバーベキュー会場であった。最寄駅はモノレールの「立飛駅」。だから「たちひ」。ちなみに立飛の由来は、ここにある企業「(株)立飛ホールディングス」であり、同社の「立飛」は旧名の「立川飛行機(株)」に由来する*1。周りが物流拠点だったりするから、リゾートライフは少しおおげさか。。。

 

www.tachihi-beach.com

  

おしゃれカフェ多し

駅に戻り「一六珈琲店」というカフェに寄る。こちらのブログでオススメされていたカフェである。

 

いちろくこーひーてん

 

joshiriki-sweets.hatenablog.com

 

ブログ記事でもわかるとおり、立川にはけっこうおしゃれカフェがある。

 

一六珈琲店を訪れたのは14時過ぎで店内はほぼ満席だったが、運良く一席空いていた。小さなお店でカウンターは少し窮屈だ。

メニューを見ると、様々な豆やブランドが並ぶ。食事やスイーツのメニューも豊富で、店内の雰囲気も店員さんの接客ぶりもいいから、なるほど人気が出るのもよくわかる。

 

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↑豆は「ルワンダ」。あっさりした苦味で飲みやすい。スイーツはジャージー牛乳のアイスで濃厚な甘さ。コーヒーとの相性が抜群

 

ラーメンの次はうどんを。そして讃岐DNAのぼやき

一六珈琲店のそばに約1ヶ月前にオープンした讃岐うどん屋が。ミシュランのビブグルマンを得た「神田一福」で修行した人がオープンしたお店で、「香川一福 立川店」。今日のランチはラーメンだったが、せっかくだし食べてみることにした。

 

ちなみに私は両親がともに香川県出身である。私自身は横浜育ちだが、香川の祖父母の家に帰省したときに讃岐うどんを食べているから、普通の人に比べると讃岐うどん経験値がわずかながらに高い。香川在住の私の叔父がいりこ出汁でなければ讃岐うどんと認めないと放言するのを聞いてきたせいか、私も讃岐うどんを名乗りながら、いりこが弱い出汁に出会うとかなりがっかりする。卓上に置かれた瞬間にいりこの香りが立ちのぼらない讃岐うどんはニセモノだと思っている。

実際、鰹出汁ベースの讃岐うどんもあるが、全体としてはいりこ出汁が多数派であるから、叔父と私の好みはあながち独断と偏見とばかりはいえないと私は勝手に思っている。

 

讃岐うどんを名乗りながらいりこが効いていないお店は多い。ではあるものの、普通に美味しいうどん屋も多い。そういうお店には讃岐うどんを名乗っていただきたくない。インチキだと糾弾したいのではない。むしろ逆だ。

讃岐うどん=いりこ出汁と思っている人は少なくない(たぶん)。そういう人は讃岐うどん、というと、やれいりこ出汁だカツオはダメだと喚きだす。素直でないのである。讃岐うどんを名乗っていなければ美味しいうどんだ、で済むのに、讃岐うどんを名乗ったばかりに、こんなの讃岐うどんじゃないとイチャモンを付ける。

美味しいうどん屋はわざわざ讃岐の名を冠さずとも十分美味いのである。世の中にはこういう私のようなめんどくさい輩がいることを覚えておいてほしい。もっとも悔い改めるべきはお店ではなく、われわれだ、という指摘もあり得ようが。

 

と、長々と書いたのは一福はいりこよりもカツオが前面に来たからだ。ベースはいりこだと思うが、こだわっていろいろな出汁をブレンドしたぶん、いりこ力は弱いと言わざるを得ない。あと麺にコシはなかった。まだオープンして一ヶ月も経っていないようだから、今後よくなっていくのかもしれない。

 

諏訪神社でお参りして締める

最後に立川駅から10分ほどのところにある諏訪神社にお参りして立川市めぐりは終了。木々に囲まれた諏訪神社は街中に建っているのを忘れるほどの静けさであった。

 

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光秀ゆかりの穴場門前町〜滋賀県大津市訪問(2017年5月6日)〜

 

今回訪問したのは大津市である。今年の6月1日現在で、人口が34万人を超える滋賀県の県庁所在地だ。

 

大津市では温泉街のおごと温泉に泊まり、翌日、比叡山延暦寺門前町明智光秀が居城を構えた場所として知られる坂本に足を伸ばした。

ブログへのアップは1ヶ月以上経過してしまったが、訪問したのはGW最終盤の5月5日と6日である。

 

比叡山延暦寺門前町、坂本

先に坂本の話をしたい。

 

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延暦寺門前町ということもあり、GW中だからけっこうな人混みを予想していたが、観光地として大丈夫?、とこちらが思わず心配してしまうほど人がいなかった。6日だとUターンする人が多くてさほど混まないのだろうか。もっとも、観光地としての持続性はともかく、訪れた旅行客としては空いてることは何ともありがたい。

 

それにしても、観光客がいないのが不思議なくらい美しい景観の街である。全国の日吉神社の総本社である日吉大社に、延暦寺のお坊さんが住む里房とその立派な庭園、街並みを流れる水路に、沿道の木々、あらゆるものが調和して歴史あるものが醸す落ち着きをたたえた街である。

 

比叡山坂本サンポ 比叡山坂本とは?|里坊のある門前町

 

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帰りの新幹線があるので長居ができないのかもったいない。やがて小雨が降ってきたが、京都や鎌倉しかり、歴史ある街には雨がよく似合う。

 

里坊の一つ、「旧竹林院」でしばし庭園を眺める。抹茶を飲みながら整えられた庭園をぼんやり眺める。何もしない時間こそ最も非日常で贅沢な時間である。紅葉もさぞ美しいことだろう。20〜30分ほどのんびりしていたが、観光客である私にとってはありがたいことに誰も新たなお客さんが来ることはなかった。誰も来なかったことを喜んでおきながら他の人にお勧めするのは現金なことだが、本当に綺麗な庭園なので、是非来ることをお勧めしたい。

 

旧竹林院公式サイト

 

 

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竹林院をお暇して日吉大社へ。森に囲まれた神社で、そこかしこから神聖な空気とマイナスイオンが溢れ出している。

 

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昼ごはんは食堂で柳川鍋。坂本で一番有名なのは、「鶴喜そば」という蕎麦屋だから、そっちを優先したほうがいいかもしれない。味という意味でも風情という意味でも。

 

本家 鶴喜そば 本店

食べログ本家 鶴喜そば 本店

 

おごと温泉

おごと温泉は琵琶湖ほとりの温泉街である。立派な旅館が何軒かあるが、今回泊まったのは「びわこ緑水亭」。部屋から琵琶湖が一望できる。日本最大の湖を眺めながらの温泉は気持ちがよい。近年造ったのか、モダンな雰囲気を感じさせる足湯がある。泉質はアルカリ性で俗に言う「美肌の湯」。

 

滋賀県の旅館 おごと温泉 びわこ緑水亭 公式HP | BiwakoRyokusuitei

 

» おごと温泉の泉質と由来 | 京都・比叡山に一番近いアルカリ温泉 | おごと温泉

 

 

 

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 ↑滋賀県ご当地ゆるキャラ(?)のとび太くんもお出迎え

とび太くん誕生秘話 | Mahorova

  

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↑苗と鹿で「苗鹿」(のうか)。関西の地名は万葉仮名っぽくて歴史情緒を感じる。

 

温泉街の近くにはソープランドなどの歓楽街がある。外観から判断するに近年は廃れているようで、別の意味で時代の流れを感じさせる。

 

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↑ 店名に大手町や丸の内の文字が。東京から来た人間としては思わず微笑んでしまうネーミングである。大手町や丸の内を闊歩する女性たちはとても魅力的な人が多いから、確かにそんな女性たちが在籍していたら、男性ならば通い詰めてしまうだろう。

 

滋賀県を後にする

坂本から京阪電車JR東海道線との乗り換え駅である膳所(ぜぜ)に向かう。これを初見で「ぜぜ」と読むのは難しい。京都を中心に関西圏は歴史が長いから、関東とは趣きの異なる地名があっておもしろい。

 

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膳所で乗り換え、米原まで行って、新幹線で東京に帰る。琵琶湖一周の旅がこれにて完了。今度は自転車で一周してみたい。

 

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 ↑大津市とは関係ないが、米原駅近くにあったカフェ。新幹線まで待ち時間が少しあり、さりとて米原では大したものはなかろうと失礼千万なことを考えながら歩いているところに現れたカフェ。オシャレでもちろんフリーWi-Fi。新幹線まで待ち時間があってもここさえあれば何の心配もいらない。 

 

隣町パーラー | エンジンプロジェクト

 

他の琵琶湖周辺の市の記事はこちら。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

mtautumn.hatenablog.com

  

mtautumn.hatenablog.com

 

 

 

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