全国すべての市を制覇する旅に出た猫

日本にはたくさんの魅力ある市があるにもかかわらず、なかなか探訪する機会がないので、コツコツ全国の市に訪問してみようと思いました。このブログはそんな訪問の記録。

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【番外編】絶海の孤島、東京都青ヶ島村に行く(2017年8月21日ー23日)〜青ヶ島渡航編〜

 

 今回は東京都青ヶ島村である。市ではないので、番外編ということで。

当地に訪れたのは8月21日から23日。

 

風俗史に記される過酷な環境

最近でこそ秘境と称されて話題の青ヶ島。満天の星空が拝める地としても知られている。東京都ながらアクセスの難しい場所であり、二重カルデラという世界的にも珍しい地形もあって、秘境と呼ぶにふさわしい絶海の孤島である。

 

現代でもアクセス困難となれば、かつてであればなおさらアクセスが困難なわけであり、かつ島の面積が小さい以上、たくさんの農産物や家畜を生産することも困難であった。それゆえ、島の生活はかなり過酷なものであったようだ。

 

八丈島の人たちは、青ヶ島をさしてオンガシマと呼んでいる。これは青ヶ島という言葉の縮小されたものであるが、あまりにも交渉が不便な場所であるために、いつのまにか鬼ヶ島だと考えている人も多かった。

(中略)

この八丈と青ヶ島の距離は三六海里、十五里といわれているが、しかし実際はもっと遠い距離にある。八丈実記(巻八)によれば「文明六(甲午)年より享保四(己亥)年迄二百四十六年ノ間無恙二著岸シタルハナシ。多クハ國地ヘ漂流シ 或ハ行末を不知ニ至ル」と記録されているが、このふたつの島をはさんで流れる黒潮があまりにもはげしいために、両島の往来はむかしからきわめて難渋に満ちたものであった。正徳五年(一七一五)などには、まる三年かかって、江戸に漂着した青ヶ島の船が、八丈島にたどりつき、そして青ヶ島に向けて帰帆している。何年たっても、こうして無事に生きて帰れれば、それは幸運なほうであった。いちど島から出発すれば、その半数以上の船はほとんど消息を絶っている。

(中略)

青ヶ島との航海を、これほど危険をおかしてまで行わなければならなかったのは、何回かの噴火によって、青ヶ島の人たちの当面している難渋な生活を助けるためであった。

(中略)

わずか換金用として木炭の製造をしてはいるが、定期船がいつ入るかもわからないため、効果的な成果をあげていない。港がないために、いまもなお隔絶されたままの状態におかれており、これが島の生活面にいろいろの暗い形になってあらわれている。とくにミコなどの発言力が大きいということなども、島の厳しい立地条件を裏書きしているものと考えらえる(柳田國男指導・日本民俗学会『離島生活の研究』国書刊行会、1975年、153ー156頁(なお、調査票を配布したのが昭和25年7月と本書に書いてあるので、調査自体は1950年前後に実施されたものと思われる)。

 

離島生活の研究 (1975年)

離島生活の研究 (1975年)

 

 

 秘境を楽しむなんて気持ちを微塵も感じさせないこの冷ややかな筆致。よくよく考えてもみれば、それも無理はなかろう。 夜中に空を見上げてもほとんど星の見えない都会であればこそ、満天の星空はこの上なく非日常的で幻想的な光景である。しかし、昭和20年代であれば、星空を拝める場所なんてそこかしこにあったことだろう。わざわざ絶海の孤島まで行かなくても星空が見られるのであれば、なんで青ヶ島に行くなんて酔狂なことをするものか。昭和20年代の人の青ヶ島の描きかたが、ただただ不便で過酷な(そしてともすれば遅れた)場所となってしまうのも故なきことではないのである。

 

プラチナチケットのヘリコプターは予約できず

今回の旅は往復ともに船。ヘリコプターを予約しようと試みたが取れなかったのだ。ヘリコプターの予約は1ヶ月前から。事務所は9時開店で、私は9時30分に電話したらすでに満席とのこと。キャンセル待ち第1番目ではあったが、結局キャンセルは出なかった。

 

青ヶ島でヘリコプターで来たという年配のご夫婦に出会った。開店と同時に電話したそうで、それでも電話中でなかなか繋がらなかったとのこと。青ヶ島行きのヘリはまさしくプレミアムチケットなのだ。なにせ9席しかないのだ。船は就航率5割とも6割ともいわれる。少しでも確実性を増やすなら、やはりヘリしかない(ただし梅雨の時期は船のほうが欠航率が低かったりする)。

 

航路は八丈島から青ヶ島まで3時間。

ただいま青ヶ島丸は整備中ということで、代わりは産廃船の「ゆり丸」である。見た目、太平洋の荒波を越えていくにはやや不安なサイズ感。波静かな瀬戸内海をゆく四国フェリーのほうがよほど大きい(ゆり丸の総トン数は469トン*1四国フェリーの高松〜宇野線は987トン*2)。

 

あわや船に乗り遅れる

 ウェブサイトには八丈島の底土港を8時50分に出航と書いてある。余裕をもって8時30分に到着し、切符を買おうしたら、えっ!!、みたいなリアクションを売り子さんにされた。どう見間違えても20分も前に到着するなんてエライわねぇ、と私を褒め称える表情には見えない。

どうやら代替のゆり丸になったせいで、出航時間が8時30分に変更されていたらしい。売り子さんや港のスタッフの方々の好意により、出航しかかった船を岸に再接岸してもらい、無事に、というか、かなり慌ただしくもなんとか乗船することができた。

あの感じからしてあと1分遅れていたらアウトだったに違いない。自分の妙な悪運と港の方々のご好意に深く深く感謝しているうちに船は青ヶ島に向けて出航した。

 

あとで青ヶ島の人に聞くと、けっこう港の都合で出航時間が変更されるようだ。八丈島から青ヶ島の船便は一日一便。逃してしまえば翌日まで待つより他なく、欠航率の高さを考えれば一日の遅れが致命傷にもなりかねない。読者諸賢はくれぐれも用心されたし。

 

奇跡的にまで穏やかな海

写真を見ればわかっていただけようが、この日は奇跡的なまでに波のない日。船員さんからもラッキーだよ、と言われる。就航率5割、波を遮るものが何もない太平洋、乗船前はそもそも青ヶ島に行けるかどうか、乗ってみてもヒドイ船酔いに悩まされるのではないかととても不安だったのだが、毘沙門天も照覧あれ、そんな不安を一掃するかごときの快調な滑り出しである。

 

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↑遠くにうっすらと青ヶ島が見えてくる。下の地図の付近。

 

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↑奇跡的なまでに穏やかな海

 

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↑無事に接岸

 

順風満帆な3時間の航海ののち、無事にゆり丸は青ヶ島に到着したのである。あまりの順調さにレンタカーのおじさんは未だ港に到着していないのであった(港から集落まで距離があるので、レンタカー会社のおじさんが港までクルマを届けてくれるシステムになっている)。

 

就航率5割の絶海の孤島。日本で最も上陸困難な島と謳われる青ヶ島。あまりに順調に着いてしまったがゆえに自分が本当に青ヶ島に上陸したのか、いまいち実感が持てないのであった。

 

滞在編はまた後日。

 

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