地名の起源を辿る難しさ
地名の漢字が変わることはこの間も書いた。
本来の文字とは異なる文字が後の時代に当てられ、そのため現在の地名からは語源を辿ることが難しい場合がある。
とはいえ、地名をおめでたい漢字に変えるのは意図的な行為であり、心情的にもよくわかる。
しかし、中には意図せずして地名が変わってしまうこともある。
すなわち、間違えて伝達してしまう場合である。
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地名の伝言ゲーム
昔の手紙などを見ると、今日のわれわれから見れば蛇がのたうちまわってるような文字で書かれていることが多い。専門家でなければ解読できない。
当時の人々が皆さんあのような文字を書いたのであれば、今のわれわれよりはあの文字に慣れているから読むのに難儀することはないかもしれないが、他方で昔は読み書き算盤が出来る人は限られており、識字率はだいぶ低かったと思われる。
とすると、漢字が読めず、書かれた文字のおよその形から推測してそれっぽい単語を書き記したかもしれないし、音だけで判断して、伝言ゲームのように他の人に伝えていったかもしれない。
伝言ゲームが面白いのはわずか数人であってもちゃんと伝わらないからだ。伝言とはむしろ正確に伝わる確率のほうがよっぽど低いのだろう。
まして、今日のわれわれより教育が行き届いていなかった時代だ。伝言が誤って伝えられる可能性がより高かったに違いない。
伝言ゲームのはてに
では、間違えられて伝えられた説がある代表的な地名はどこか?
その一つが神奈川県の小田原である。戦国時代には後北条氏が本拠を構え、現在でも城が残る神奈川県を代表する歴史ある街である。今日などは満開の桜がとても美しく城に映えていたことだろう。
その神奈川県を代表する街の一つである小田原の語源には読み間違えられ説が存在する。
草書体で書かれた文字を読み誤って「小田原」になったというのだ。
小田原から大磯にかけての一帯は、かつて「餘綾」(よろき)と呼ばれていた。その地名に接頭語の「小」がついて、やがて「小餘綾」(こよろき)となる。この「餘綾」は難しい漢字のためか、「小餘綾」はやがて「小由留木」という当て字で書かれることがあったという。
読み間違いの始まりは、この「小由留木」である。これを草書体で書くと、「留」は「る」で書かれ、「小由る木」となる。それがいつしか、「小」「由」「る木」が一つの塊の漢字と謝って、「小田原」になったというのである(括弧内筆者)(浜田弘明『意外と知らない神奈川県の歴史を読み解く!神奈川「地理・地名・地図」の謎』(70-72頁)
間違えに基づく地名だと、もうまじめに語源を推測するのは至難の業だ。
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