全国すべての市を制覇する旅に出た猫

日本にはたくさんの魅力ある市があるにもかかわらず、なかなか探訪する機会がないので、コツコツ全国の市に訪問してみようと思いました。このブログはそんな訪問の記録。

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【番外編】絶海の孤島、東京都青ヶ島村に行く(2017年8月21日ー23日)〜青ヶ島渡航編〜

 

 今回は東京都青ヶ島村である。市ではないので、番外編ということで。

当地に訪れたのは8月21日から23日。

 

風俗史に記される過酷な環境

最近でこそ秘境と称されて話題の青ヶ島。満天の星空が拝める地としても知られている。東京都ながらアクセスの難しい場所であり、二重カルデラという世界的にも珍しい地形もあって、秘境と呼ぶにふさわしい絶海の孤島である。

 

現代でもアクセス困難となれば、かつてであればなおさらアクセスが困難なわけであり、かつ島の面積が小さい以上、たくさんの農産物や家畜を生産することも困難であった。それゆえ、島の生活はかなり過酷なものであったようだ。

 

八丈島の人たちは、青ヶ島をさしてオンガシマと呼んでいる。これは青ヶ島という言葉の縮小されたものであるが、あまりにも交渉が不便な場所であるために、いつのまにか鬼ヶ島だと考えている人も多かった。

(中略)

この八丈と青ヶ島の距離は三六海里、十五里といわれているが、しかし実際はもっと遠い距離にある。八丈実記(巻八)によれば「文明六(甲午)年より享保四(己亥)年迄二百四十六年ノ間無恙二著岸シタルハナシ。多クハ國地ヘ漂流シ 或ハ行末を不知ニ至ル」と記録されているが、このふたつの島をはさんで流れる黒潮があまりにもはげしいために、両島の往来はむかしからきわめて難渋に満ちたものであった。正徳五年(一七一五)などには、まる三年かかって、江戸に漂着した青ヶ島の船が、八丈島にたどりつき、そして青ヶ島に向けて帰帆している。何年たっても、こうして無事に生きて帰れれば、それは幸運なほうであった。いちど島から出発すれば、その半数以上の船はほとんど消息を絶っている。

(中略)

青ヶ島との航海を、これほど危険をおかしてまで行わなければならなかったのは、何回かの噴火によって、青ヶ島の人たちの当面している難渋な生活を助けるためであった。

(中略)

わずか換金用として木炭の製造をしてはいるが、定期船がいつ入るかもわからないため、効果的な成果をあげていない。港がないために、いまもなお隔絶されたままの状態におかれており、これが島の生活面にいろいろの暗い形になってあらわれている。とくにミコなどの発言力が大きいということなども、島の厳しい立地条件を裏書きしているものと考えらえる(柳田國男指導・日本民俗学会『離島生活の研究』国書刊行会、1975年、153ー156頁(なお、調査票を配布したのが昭和25年7月と本書に書いてあるので、調査自体は1950年前後に実施されたものと思われる)。

 

離島生活の研究 (1975年)

離島生活の研究 (1975年)

 

 

 秘境を楽しむなんて気持ちを微塵も感じさせないこの冷ややかな筆致。よくよく考えてもみれば、それも無理はなかろう。 夜中に空を見上げてもほとんど星の見えない都会であればこそ、満天の星空はこの上なく非日常的で幻想的な光景である。しかし、昭和20年代であれば、星空を拝める場所なんてそこかしこにあったことだろう。わざわざ絶海の孤島まで行かなくても星空が見られるのであれば、なんで青ヶ島に行くなんて酔狂なことをするものか。昭和20年代の人の青ヶ島の描きかたが、ただただ不便で過酷な(そしてともすれば遅れた)場所となってしまうのも故なきことではないのである。

 

プラチナチケットのヘリコプターは予約できず

今回の旅は往復ともに船。ヘリコプターを予約しようと試みたが取れなかったのだ。ヘリコプターの予約は1ヶ月前から。事務所は9時開店で、私は9時30分に電話したらすでに満席とのこと。キャンセル待ち第1番目ではあったが、結局キャンセルは出なかった。

 

青ヶ島でヘリコプターで来たという年配のご夫婦に出会った。開店と同時に電話したそうで、それでも電話中でなかなか繋がらなかったとのこと。青ヶ島行きのヘリはまさしくプレミアムチケットなのだ。なにせ9席しかないのだ。船は就航率5割とも6割ともいわれる。少しでも確実性を増やすなら、やはりヘリしかない(ただし梅雨の時期は船のほうが欠航率が低かったりする)。

 

航路は八丈島から青ヶ島まで3時間。

ただいま青ヶ島丸は整備中ということで、代わりは産廃船の「ゆり丸」である。見た目、太平洋の荒波を越えていくにはやや不安なサイズ感。波静かな瀬戸内海をゆく四国フェリーのほうがよほど大きい(ゆり丸の総トン数は469トン*1四国フェリーの高松〜宇野線は987トン*2)。

 

あわや船に乗り遅れる

 ウェブサイトには八丈島の底土港を8時50分に出航と書いてある。余裕をもって8時30分に到着し、切符を買おうしたら、えっ!!、みたいなリアクションを売り子さんにされた。どう見間違えても20分も前に到着するなんてエライわねぇ、と私を褒め称える表情には見えない。

どうやら代替のゆり丸になったせいで、出航時間が8時30分に変更されていたらしい。売り子さんや港のスタッフの方々の好意により、出航しかかった船を岸に再接岸してもらい、無事に、というか、かなり慌ただしくもなんとか乗船することができた。

あの感じからしてあと1分遅れていたらアウトだったに違いない。自分の妙な悪運と港の方々のご好意に深く深く感謝しているうちに船は青ヶ島に向けて出航した。

 

あとで青ヶ島の人に聞くと、けっこう港の都合で出航時間が変更されるようだ。八丈島から青ヶ島の船便は一日一便。逃してしまえば翌日まで待つより他なく、欠航率の高さを考えれば一日の遅れが致命傷にもなりかねない。読者諸賢はくれぐれも用心されたし。

 

奇跡的にまで穏やかな海

写真を見ればわかっていただけようが、この日は奇跡的なまでに波のない日。船員さんからもラッキーだよ、と言われる。就航率5割、波を遮るものが何もない太平洋、乗船前はそもそも青ヶ島に行けるかどうか、乗ってみてもヒドイ船酔いに悩まされるのではないかととても不安だったのだが、毘沙門天も照覧あれ、そんな不安を一掃するかごときの快調な滑り出しである。

 

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↑遠くにうっすらと青ヶ島が見えてくる。下の地図の付近。

 

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↑奇跡的なまでに穏やかな海

 

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↑無事に接岸

 

順風満帆な3時間の航海ののち、無事にゆり丸は青ヶ島に到着したのである。あまりの順調さにレンタカーのおじさんは未だ港に到着していないのであった(港から集落まで距離があるので、レンタカー会社のおじさんが港までクルマを届けてくれるシステムになっている)。

 

就航率5割の絶海の孤島。日本で最も上陸困難な島と謳われる青ヶ島。あまりに順調に着いてしまったがゆえに自分が本当に青ヶ島に上陸したのか、いまいち実感が持てないのであった。

 

滞在編はまた後日。

 

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ベンチでくつろぐ謎のネコと茶褐色の湯、そして味噌バカ良店〜茨城県守谷市訪問(2017年7月22日)〜

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今回は茨城県守谷市 

今回訪れたのは茨城県守谷市である。降りたのはつくばエクスプレス守谷駅関東鉄道常総線も通っている、守谷市の中核エリアである。守谷駅あたりの住所はその名も「中央」。非常にわかりやすい。わかりやす過ぎて味気ないくらいであるが、ウィキペディアによれば、この住所名になったのは2010年のことで、それ以前は「海老原町」という名前だったそうだ*1

 

前日は飲んできたため就寝時間が遅く少し疲れていたので、守谷市にあるスーパー銭湯「きぬの湯」に入るつもりで来たのだが、せっかくだから街中をぶらぶらしてみた。

 

www.kinunoyu.com

 

守谷概観

それでは守谷市のウェブサイトとウィキペディアで同市の特徴を概観しよう。

2017年7月1日現在で人口は66,516人。東京の40キロ圏内に入っている。40キロ圏内がどの程度かといえば、横浜市や八王子市あたりに相当する。茨城県と言うと都内居住者からすると遠い印象があるが、守谷市は存外東京に近いところにあるのだなぁと意外な思いがする。改めて考えてみれば、つくばエクスプレスを使えば北千住や浅草、秋葉原には20〜30分程度で出られるわけで、通学・通勤先がそれらの駅なら十分通える場所である。

 

守谷市の人口・地理 守谷市公式サイト-Moriya City

 

 地名の由来ははっきりしないようだ。市のウェブサイトから守谷の由来を抜粋しよう。

 

守谷の地名の起こりは、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征のときにこの地を通り、うっそうたる森林が果てしなく広がっているのを見て嘆賞せられ、「森なる哉(かな)」といわれました。これを漢訳して音読し「森哉(もりや)」となったという説があります。また、平将門がこの地に城を築いたとき、丘高く谷深くして守るに易き地ということから、守るに易き谷、転じて「守谷」となったという説がありますが、このことについては、はっきりしたことは判明していません。しかし、そのころの守谷は森がうっそうと茂り、その両側には入江が深く入り込んで、早くから人々が集まったところであったと思われます。

 

市の歴史 守谷市公式サイト-Moriya City

 

江戸時代初期は城下町として発展したが、その後は寒村になってしまったようだ。現在でも人口は65000人程度でとりたてて人口稠密地域というわけではないが、森は残っておらず、日本武尊が「森なる哉」と言った面影は微塵もない。本当に森が一面に広がっていたのだろうか?そんなに守谷近辺がガンガン開拓されたのであろうか?あまりに木々が鬱蒼としていては街として開発するにはかなり手間がかかってしまう。かつてであれば森林開拓や土木工事が不要な土地のほうが経済活動の拠点になりそうなものだが、それは歴史学を知らない素人の発想なのかもしれない。現在の光景を見ると、平将門説のほうがあり得そう。

 

カフェ〜守谷城址〜きぬの湯〜かげろう

北関東でよく見かけるヨークベニマル併設のカフェで暑い時間をやり過ごしてから、守谷城址、八坂神社、関東鉄道常総線新守谷駅に移動、きぬの湯、いちいち味噌にこだわる味噌バカの良店「かげろう」を訪ねた。

きぬの湯はお湯がいい。設備も整っているし、物産館が充実していたり、なかなかのスーパー銭湯。かげろうは味噌にこだわったお店で、面白そうな料理が多く目移りして注文を決めるのが大変であった。

 

↓かげろう

かげろう

食べログ かげろう

 

現在の守谷は完全なベッドタウンで他所者がふと訪れて楽しめるような街でないものの、派手さはないが地味にいいお店があったりして、飲み会で疲れた身体はずいぶんと癒された。何の予定もない週末に気軽に温泉入って、美味しいご飯を肴に酒をチビチビやるのもなかなか乙だと思ったのであった。 

 

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 ↑守谷駅下車。特にこれといったものがない駅徒歩5分地点

 

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 ↑カフェでコーヒー

 

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↑なぞのアートたち。ネコがベンチの3分の1を占拠。タヌキの子供たちの戯れ

 

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 ↑マンホール。描かれている山百合は守谷市の花

 

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 ↑守谷城址

 

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 ↑29日は八坂神社の例大祭祇園祭)。あと一週間遅く来るべきだった

 

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 ↑いかにも「八坂神社前」になりそうな信号機だが、「保健センター前」

 

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 ↑守谷駅周辺。その名も「中央」

 

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守谷駅ホームに到着する関東鉄道常総線。全線非電化なのでディーゼル

 

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 ↑新守谷駅のホームから。のどかな田舎駅の趣き。電線がないからかもしれない

  

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新守谷駅は関東の駅100選の一つ

 

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↑きぬの湯。別に貸切風呂・家族風呂専用の別荘がある。お湯は茶褐色。スーパー銭湯だが、食堂のメニューにもこだわりがありそうな雰囲気を感じる

 

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 ↑かげろう。住宅街に突如現れる。

 

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↑味噌にこだわるメニューの数々。醤油っぽいのは味噌の上澄み。味は醤油に似ていて言われなければ本当に醤油と間違えてしまう。しかし、こういう「へ〜」って思わせてくれるお店は好きだ。野菜に合わせる味噌には浅利味噌と梅干味噌をチョイス。鮎に合わせるのは味噌塩なり

 

 

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名は体を表す〜群馬県みどり市を訪問する(2017年7月15日)

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群馬県みどり市訪問 

今回訪れたのは群馬県みどり市である。平仮名地名から連想できるとおり、平成の合併によって新しく誕生した市だ。これまた名前から簡単に連想できるが、市名の由来は次の通り*1

 

 笠懸町・大間々町・東村合併協議会での市名の選定理由は以下の3点。

  • みどり豊かな自然のあふれる、美しい街並みの市にしてもらいたい。
  • 自然を大切にし、自然と共に栄えていくように。
  • 明るく平和で清々しく、安心して生活でき、癒しのあるイメージ。

 

地名研究者が怒髪天を衝いて怒りそうな市名由来である。私は必ずしも歴史に即さなければならないとは思わないが、とはいえさすがにみどり市とはざっくりしすぎの名前である。ありふれた一般名称すぎて群馬県とは結びつかないし、風光明媚なわたらせ渓谷鐵道とも結びつかない。ニュータウンによくある「緑が丘」的な感じがしてしまい、むしろ山水の景色よりも都会のニュータウン、そびえるマンション群みたいな感じがしてしまう。さすがに他の名前でもよかったんじゃないかなぁ、と思ってしまう。

 

mtautumn.hatenablog.com

  

mtautumn.hatenablog.com

 

みどり市という市名。。。 

ウィキペディアによると他の市名候補もあったようだ。その中でなぜに合併協議会がみどり市をいいと思ったのか、逆にいえばなぜ他の候補がダメと思ったのか、その根拠がよくわからない(合併協議会のウェブサイトがリンク切れ)。合併協議会には大学の教授などが名を連ねていたはずだが、こんな名前を選ぶようでは有識者に委ねた意味がなくなってしまう。

 

そもそもなぜに合併協議会に市名の最終決定を委ねるのか?民主主義だし住民の投票で決定すればよいのだ。有識者による委員会で決定するのは、世論に委ねると非合理的な名前を選びかねず、それでは市政にもそこに住む住民にとっても不利益であるというパターナリズムがあるように思われる。しかし、実際に合併協議会に選ばせた市名がみどり市である。結果論だが有識者に委ねた意味はあったのだろうか?これなら住民の投票のほうがまともな結果になったのではないか。少なくとも、住民の投票でみどり市になったとしたら、それは自分たちの責任として納得感を得られようが、どこの誰だか知らない第三者によって妙な市名を選ばれては納得しづらいのではないか。

それとも住民全員が全会一致で市名を選ぶことをないから、必ず票は割れ、選ばれなかった市名の支持者は新市名が気に食わず、ひいては新市名を選んだ人を嫌いになり、新たな市の一体感醸成を妨げるかもしれない。合併協議会という責任転嫁できるスケープゴートを用意したのかもしれない。

 

ところで、みどり市とお隣の桐生市との間で合併の話が出ていたらしい。研究会まで立ち上げられていろいろ調査が進められていたようだが、最終的にはご破算になってしまったようだ。みどり市側では4割が合併に賛成したが、6割は反対だった。

みどり市側の主な反対理由に、まずは市の一体性を高めることを優先する必要があるも指摘されている。単なる反対のための方便なのか、それとも合併して10年程度では一体性を達成するのは難しいのだろうか。

 

www.city.midori.gunma.jp

 

名前に違わず緑豊富なみどり市 

散々名前についてやんや言ったものの、同市に緑が豊富なのは間違いない。 トロッコ列車で有名なわたらせ渓谷鐵道が市内を縦断しているのだ。わたらせ渓谷鐵道の写真などを見たことがある人はわかるだろうが、まさにみどり市は緑豊富な街なのである。

 

市名の是非はともかく、街中を散策しよう。今回のルートだが、東京から東武線で赤城駅まで行き、そこで昼ごはんを食べ、わたらせ渓谷鐵道大間々駅から神戸(ごうど)に行き、徒歩で沢入(そうり)駅まで移動。大間々駅からは運良くトロッコ列車に乗ることができた。関東に住んでいるとわたらせ渓谷線トロッコ列車はよく聞くこともあって、一度は乗ってみたいと思っていた。紅葉の時期だとなかなか席を確保できないようだが、連休初日とはいえ、紅葉シーズンではなかったのがよかったのだろう。

発車するときにディーゼルエンジンが起動する音が力強い。普段は電車を使っているので、このディーゼルエンジンの音は旅情を感じさせてくれるように思う。

 

わたらせ渓谷鉄道はもともとは国鉄の足尾線であり、足尾銅山などから産出される鉱物資源を輸送するための路線であった。しかし、足尾銅山が閉鎖され利用客が減少したため採算性が悪化、群馬県、関係市町村、地元企業が出資する第三セクター鉄道となったのである。

経営母体が第三セクターになったからといって、鉱山が復活し、利用客が戻ってくるわけではない。沿線住民がクルマを主に使うようになって益々採算性が悪化したことから、渡良瀬川の美しい景観を活かしたトロッコ列車に再生を賭けたのである。そうした苦境とそれを乗り越えようとする努力がトロッコ列車という収益源の誕生につながったのである(谷川、下記書、pp.65-68)。 

 

ニッポン 鉄道の旅68選 (平凡社新書)

ニッポン 鉄道の旅68選 (平凡社新書)

 

 

限られたエリアを探訪しただけとはいえ、さすがわたらせ渓谷鐵道を抱えるだけあって緑が豊富で楽しかった。

 

写真一覧

 

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↑地方都市で良く見かける有害図書排除活動

 

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 ↑思わず見返してしまう(?)地名。すももも桃も桃のうちのような

 

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赤城駅から大間々駅の途中にあった食堂。けっこう食べる場所が少なかったので、まさに救世主的存在

 

いし和楽(赤城/和食) | ホットペッパーグルメ

 

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 ↑頼んだのはもちろん上州名物のソースカツ丼。蕎麦はオススメしない。お店としてもうどん推しだった気がする

 

 

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わたらせ渓谷鐵道の切符。昔ながらの硬券

 

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 ↑トロッコ列車の車窓から

 

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 ↑行く時間がなかったが、温泉が併設された水沼駅。なぜに河童の一人(一匹?)が直江兼続風の兜なのか?右下にサインがあるということは名のある作家の作品?

 

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トロッコ列車

 

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 ↑神戸駅に併設された昔の特急を改造したレストラン。トロッコ列車は涼しくはなかったので、冷房が効いた店内は天国

 

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↑意外にボリュームのあった舞茸天ぷら

 

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 ↑神戸駅〜沢入駅。誰にも会うことのなかったハイキングコース。しかし、隔絶された場所だといきなり人に出会ってもちょっとドキッとするかも

 

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 ↑神戸駅〜沢入駅。道中に見つけたなぞのモアイ(?)像。ここは集合場所になり得るか?もっとも渋谷にあるのはモヤイ像だが

 

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↑なぞのモアイ像の場所 

 

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神戸駅〜沢入駅。写真では伝わりにくいが、けっこうな威容を誇る草木ダム。ダム湖百選の一つ。日本にはいろんな百選があるが、ダム湖百選を管理するのは一般財団法人水資源地管理センター。いかにも国交省天下りの受け皿っぽいが、実際理事長は元国交省の局長

 

ダム湖百選

 

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 ↑神戸駅〜沢入駅。道中のドライブインで買ったご当地名物よもぎまんじゅうアイス。250円と少々強気の価格設定だが、素朴なよもぎの風味とこんにゃくのプニプニ感がミックスされたなかなかの力作

 

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 ↑法務省主唱の社会を明るくする運動。全然知らなかったが、戦後すぐに開始された啓発活動。山中でこののぼりを見たが、運動の趣旨からすれば東京の街中こそ必要?

 

法務省:第67回“社会を明るくする運動”~犯罪や非行を防止し,立ち直りを支える地域のチカラ~

 

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 ↑沢入駅着。あじさいの咲く無人

 

 

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 ↑時間があったのでわたらせ渓谷線の終着駅の間藤駅まで。間藤駅みどり市ではなく、栃木県日光市

 

 

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トロッコ列車もいいが、案外通常の車両のほうが旅情あり(?)

 

 

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ラーメン、うどん、おしゃれカフェ、神社、デパート、モノレール、電車、公園なんでもござれの中核エリア〜東京都立川市(2017年7月1日訪問)〜

  

今回は東京都立川市 

今回は東京都立川市。2017年6月1日現在で、人口は182,869人である。

 

平成29年度住民基本台帳登録の町丁別人口(4月分から30年3月分まで) | 立川市

 

立川市のウェブサイトによると、立川の地名の由来は諸説あるらしい。

 

 立川市の名前の由来について、『立川の地名』(立川市教育委員会)には、国府の前を東西方向に流れる多摩川を日の経(たて)の川と呼んだとすることに由来する、たてかわ説
普済寺に館(たち)があったことに由来する、館(たち)川説
多摩川の早い瀬に由来する湍川(たぎちかわ)説
経(たて)の川は東にある川であるとする東の川説
立川氏が居住していたことに由来する立川氏説
など様々な説が紹介されています。しかし、いずれの説も確証に欠け正しいことは分かっておりません。

 

立川市の概要 | 立川市

 

伊勢丹高島屋、その他商業施設が立ち並ぶ東京西部を代表する中核的な市である。東京東部に住んでいるとなかなか訪れることはないが、駅前の発展ぶりにはなかなか驚かされる。

 

折しも東京都議選で、立川駅前に小池百合子氏が応援演説に来ており、人だかりが出来ていた。

築地市場の移転問題はまさに築地と晴海の両方の顔を立て、選挙で勝つことを最優先した政治的結論で、到底実現可能性なんて何一つ考慮されていないものであった。小池氏と都民ファーストへの期待感は萎んだが、とはいえ自民党は不祥事続き、民進党は頼りない。間接民主主義の欠点は立候補した人しか選べないことにある。現状に閉塞感を感じるが、立候補者に現状打破を期待できない場合、どうしても過激な発言をする異端視や英雄の登場を待望してしまう。その危うい願望は民主主義への信頼度を低下させてしまうおそれがあるのではないか。

 

昼ごはんのラーメン

さて、立川市に話を戻そう。

 

昼ごはんはラーメン屋の「鏡花」だ。有名なラーメン屋で、内装がシックでとてもおしゃれ。こちらのお店には過去も何度か訪れていて醤油ラーメンは経験済みなので、今回はまだ食べたことのないつけ麺にした。

 

鏡花

食べログ 鏡花

 

普通の醤油ラーメンもたまり醤油の甘みが効いているが、つけ麺も同様にたまり醤油の甘みが主張している。香味油には少しラー油っぽさを感じる。具もしかりだが、とても丁寧な仕事ぶりが伝わる上品なラーメンだ。ラーメンを照らすためだけの卓上照明があったり、店員さんが椅子をひいてくれたり、ラーメン屋らしからぬサービスである。

 

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↑立川を代表する鏡花のラーメンは実食の価値あり 

 

玉川上水から立川駅まで南下

立川市をぶらぶらするために、多摩モノレールで北上し、玉川上水駅から芋窪街道を南下して立川駅を目指す。ほぼモノレールに沿って歩く感じである。

道中特にめぼしいものがあるわけではないが、駅前はかなりの発展ぶりを見せる立川も、ちょっと足を伸ばせば多摩丘陵ののどかな雰囲気を味わえる。立川駅に近づくにつれて、ららぽーとがあったり、IKEAがあったり、商業都市の顔をのぞかせるようになる。

 

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玉川上水

 

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玉川上水付近ののどかな風景

 

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立川駅までの道中 

 

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↑タチヒビーチとはなんぞや?と思ったが(タヒチではない)、正解はバーベキュー会場であった。最寄駅はモノレールの「立飛駅」。だから「たちひ」。ちなみに立飛の由来は、ここにある企業「(株)立飛ホールディングス」であり、同社の「立飛」は旧名の「立川飛行機(株)」に由来する*1。周りが物流拠点だったりするから、リゾートライフは少しおおげさか。。。

 

www.tachihi-beach.com

  

おしゃれカフェ多し

駅に戻り「一六珈琲店」というカフェに寄る。こちらのブログでオススメされていたカフェである。

 

いちろくこーひーてん

 

joshiriki-sweets.hatenablog.com

 

ブログ記事でもわかるとおり、立川にはけっこうおしゃれカフェがある。

 

一六珈琲店を訪れたのは14時過ぎで店内はほぼ満席だったが、運良く一席空いていた。小さなお店でカウンターは少し窮屈だ。

メニューを見ると、様々な豆やブランドが並ぶ。食事やスイーツのメニューも豊富で、店内の雰囲気も店員さんの接客ぶりもいいから、なるほど人気が出るのもよくわかる。

 

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↑豆は「ルワンダ」。あっさりした苦味で飲みやすい。スイーツはジャージー牛乳のアイスで濃厚な甘さ。コーヒーとの相性が抜群

 

ラーメンの次はうどんを。そして讃岐DNAのぼやき

一六珈琲店のそばに約1ヶ月前にオープンした讃岐うどん屋が。ミシュランのビブグルマンを得た「神田一福」で修行した人がオープンしたお店で、「香川一福 立川店」。今日のランチはラーメンだったが、せっかくだし食べてみることにした。

 

ちなみに私は両親がともに香川県出身である。私自身は横浜育ちだが、香川の祖父母の家に帰省したときに讃岐うどんを食べているから、普通の人に比べると讃岐うどん経験値がわずかながらに高い。香川在住の私の叔父がいりこ出汁でなければ讃岐うどんと認めないと放言するのを聞いてきたせいか、私も讃岐うどんを名乗りながら、いりこが弱い出汁に出会うとかなりがっかりする。卓上に置かれた瞬間にいりこの香りが立ちのぼらない讃岐うどんはニセモノだと思っている。

実際、鰹出汁ベースの讃岐うどんもあるが、全体としてはいりこ出汁が多数派であるから、叔父と私の好みはあながち独断と偏見とばかりはいえないと私は勝手に思っている。

 

讃岐うどんを名乗りながらいりこが効いていないお店は多い。ではあるものの、普通に美味しいうどん屋も多い。そういうお店には讃岐うどんを名乗っていただきたくない。インチキだと糾弾したいのではない。むしろ逆だ。

讃岐うどん=いりこ出汁と思っている人は少なくない(たぶん)。そういう人は讃岐うどん、というと、やれいりこ出汁だカツオはダメだと喚きだす。素直でないのである。讃岐うどんを名乗っていなければ美味しいうどんだ、で済むのに、讃岐うどんを名乗ったばかりに、こんなの讃岐うどんじゃないとイチャモンを付ける。

美味しいうどん屋はわざわざ讃岐の名を冠さずとも十分美味いのである。世の中にはこういう私のようなめんどくさい輩がいることを覚えておいてほしい。もっとも悔い改めるべきはお店ではなく、われわれだ、という指摘もあり得ようが。

 

と、長々と書いたのは一福はいりこよりもカツオが前面に来たからだ。ベースはいりこだと思うが、こだわっていろいろな出汁をブレンドしたぶん、いりこ力は弱いと言わざるを得ない。あと麺にコシはなかった。まだオープンして一ヶ月も経っていないようだから、今後よくなっていくのかもしれない。

 

諏訪神社でお参りして締める

最後に立川駅から10分ほどのところにある諏訪神社にお参りして立川市めぐりは終了。木々に囲まれた諏訪神社は街中に建っているのを忘れるほどの静けさであった。

 

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光秀ゆかりの穴場門前町〜滋賀県大津市訪問(2017年5月6日)〜

 

今回訪問したのは大津市である。今年の6月1日現在で、人口が34万人を超える滋賀県の県庁所在地だ。

 

大津市では温泉街のおごと温泉に泊まり、翌日、比叡山延暦寺門前町明智光秀が居城を構えた場所として知られる坂本に足を伸ばした。

ブログへのアップは1ヶ月以上経過してしまったが、訪問したのはGW最終盤の5月5日と6日である。

 

比叡山延暦寺門前町、坂本

先に坂本の話をしたい。

 

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延暦寺門前町ということもあり、GW中だからけっこうな人混みを予想していたが、観光地として大丈夫?、とこちらが思わず心配してしまうほど人がいなかった。6日だとUターンする人が多くてさほど混まないのだろうか。もっとも、観光地としての持続性はともかく、訪れた旅行客としては空いてることは何ともありがたい。

 

それにしても、観光客がいないのが不思議なくらい美しい景観の街である。全国の日吉神社の総本社である日吉大社に、延暦寺のお坊さんが住む里房とその立派な庭園、街並みを流れる水路に、沿道の木々、あらゆるものが調和して歴史あるものが醸す落ち着きをたたえた街である。

 

比叡山坂本サンポ 比叡山坂本とは?|里坊のある門前町

 

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帰りの新幹線があるので長居ができないのかもったいない。やがて小雨が降ってきたが、京都や鎌倉しかり、歴史ある街には雨がよく似合う。

 

里坊の一つ、「旧竹林院」でしばし庭園を眺める。抹茶を飲みながら整えられた庭園をぼんやり眺める。何もしない時間こそ最も非日常で贅沢な時間である。紅葉もさぞ美しいことだろう。20〜30分ほどのんびりしていたが、観光客である私にとってはありがたいことに誰も新たなお客さんが来ることはなかった。誰も来なかったことを喜んでおきながら他の人にお勧めするのは現金なことだが、本当に綺麗な庭園なので、是非来ることをお勧めしたい。

 

旧竹林院公式サイト

 

 

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旧竹林院をお暇して日吉大社へ。森に囲まれた神社で、そこかしこから神聖な空気とマイナスイオンが溢れ出している。

 

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昼ごはんは食堂で柳川鍋。坂本で一番有名なのは、「鶴喜そば」という蕎麦屋だから、そっちを優先したほうがいいかもしれない。味という意味でも風情という意味でも。

 

本家 鶴キそば 本店

食べログ 本家 鶴キそば 本店

 

おごと温泉

おごと温泉は琵琶湖ほとりの温泉街である。立派な旅館が何軒かあるが、今回泊まったのは「びわこ緑水亭」。部屋から琵琶湖が一望できる。日本最大の湖を眺めながらの温泉は気持ちがよい。近年造ったのか、モダンな雰囲気を感じさせる足湯がある。泉質はアルカリ性で俗に言う「美肌の湯」。

 

滋賀県の旅館 おごと温泉 びわこ緑水亭 公式HP | BiwakoRyokusuitei

 

» おごと温泉の泉質と由来 | 京都・比叡山に一番近いアルカリ温泉 | おごと温泉

 

 

 

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 ↑滋賀県ご当地ゆるキャラ(?)のとび太くんもお出迎え

とび太くん誕生秘話 | Mahorova

  

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↑苗と鹿で「苗鹿」(のうか)。関西の地名は万葉仮名っぽくて歴史情緒を感じる。

 

温泉街の近くにはソープランドなどの歓楽街がある。外観から判断するに近年は廃れているようで、別の意味で時代の流れを感じさせる。

 

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↑ 店名に大手町や丸の内の文字が。東京から来た人間としては思わず微笑んでしまうネーミングである。大手町や丸の内を闊歩する女性たちはとても魅力的な人が多いから、確かにそんな女性たちが在籍していたら、男性ならば通い詰めてしまうだろう。

 

滋賀県を後にする

坂本から京阪電車JR東海道線との乗り換え駅である膳所(ぜぜ)に向かう。これを初見で「ぜぜ」と読むのは難しい。京都を中心に関西圏は歴史が長いから、関東とは趣きの異なる地名があっておもしろい。

 

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膳所で乗り換え、米原まで行って、新幹線で東京に帰る。琵琶湖一周の旅がこれにて完了。今度は自転車で一周してみたい。

 

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 ↑大津市とは関係ないが、米原駅近くにあったカフェ。新幹線まで待ち時間が少しあり、さりとて米原では大したものはなかろうと失礼千万なことを考えながら歩いているところに現れたカフェ。オシャレでもちろんフリーWi-Fi。新幹線まで待ち時間があってもここさえあれば何の心配もいらない。 

 

隣町パーラー | エンジンプロジェクト

 

他の琵琶湖周辺の市の記事はこちら。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

mtautumn.hatenablog.com

  

mtautumn.hatenablog.com

 

 

 

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湧き水の郷に泳ぐ鯉とニジマス〜高島市訪問(2017年5月5日)〜

 

高島市来訪

今回は滋賀県高島市。今回は、といっても実際に訪れたのは今年のGWである。

 

2017年5月31日現在の高島市は人口は49,920人で、一度市になれば、その地位が剥奪されることはないものの、市としての5万人の基準を下回っている。他方、面積は琵琶湖を含めれば滋賀県最大とのこと。

 

市名の由来は下記の通り。かなり昔から「たかしま」と呼ばれていたようで、かつてあったと思われる神社の名前に由来しているようだ。

 

現在の高島市全域の旧郡名で、「高島郡」の名称は、郡という行政区画が成立した奈良時代ころから使われていたと思われます。古くは「万葉集」や「和名抄」などにも登場し、読みは「太加之萬」と記されることから、早い時期から「タカシマ」の呼称が定着していたようです。一説には、三尾国(現在の市南部域と思われる)に高島宮があり、これが高島の名前の起こりになったともいわれています。

 

概要 | 高島市

 

今回、高島市に来たのは針江地区に行ってみたかったからである。

 

針江生水の郷(平成の名水百選/新旭) | 高島市

 

湧き水の郷

その針江は琵琶湖のほとりにある。湧き水がそこかしこに湧き、水路となって集落を流れる。水路は各家庭に引き込まれ生活用水として利用される。このシステムは「かばた(川端)」と呼ばれる。

 

このかばたシステムだが、きれいな湧き水も生活用水として使えば汚れる。水路にはコケも生える。そのまま放置すればかばたシステムは機能不全に陥ってしまう。

 

そうした水に流した残飯やコケを食べてもらうため、各家庭や水路に鯉が飼われている。ガイドさんによると集落には130戸程度が存在し、うち100超の世帯にかばたが設けられているとのこと。

 

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どのような苦労を経て、このシステムができたのだろうか?いきなり上手くいったとは考えにくい。上手くいくためには誰もがちゃんと管理するだろうという信頼関係が構築されなければならない。川上に位置する家庭が過剰に水を汚せば下流の人が迷惑を被る。表立っては言わないが、ルール違反者には何らかの罰則(恐らくは金銭的というよりは村八分的な社会的な罰則)がある、またはあったのではないか。かつてあったとしたら、ルールを破るような人はすでに他所に行って、ルールを守る人だけが今では選抜される。ゆえに現代ではさほど苦労なくシステムが維持されているのかもしれない。

 

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↑かばた。家の中である。

 

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↑別の家のかばただが、こういった感じで家の中に鯉が泳ぐ。湧き水のそばだと水がきれい過ぎて鯉が棲めないため、ニジマスを放している家も。飼っている鯉やニジマスを食べることはないようだ。

 

繰り返し囚人のジレンマゲームによって水利システム管理を説明する

ルール形成に際して、代官や役所がルールを作って地域に強制したわけではなかろう。その意味では上位権力によるルール設定・実施ではなく、地域での暮らしを効率的にするために、地域レベルで自発的に発生したシステムだろうと考えられる。

 

これを繰り返し囚人のジレンマゲームで説明してみたい。

 

囚人のジレンマゲームは、互いが協力したほうが全体として利益が最大化されるにもかかわらず、一方が裏切りによって利益を得られる選択肢(そして、それによって相手が最も不利益を被る)がある場合、互いが自分が最悪の結果になることを回避しようと合理的に行動すると、双方が裏切りを選択し、結局、全体の利益が最大化しないという非合理的な結果になるというジレンマを説明する理論である。

 

ただし、これは一回きり、またはいずれ終局を迎える場合を想定した話である。もし、予想しうるしばらくの間、互いの関係が継続すると双方が予想する場合、そして互いがしっぺ返し戦略(相手の選択と同じ選択をする戦略。相手が協力すれば自分も協力、相手が裏切れば自分も裏切る)を採用すれば、双方が協力を選ぶことが知られている。自分が裏切ることで短期的な利益は得られるが、相手との関係が続く場合、相手からも裏切りという仕返しを受ける。そうすると、自分は協力よりも低い利益しか得られないから、非協力が続くようであれば、いつまでも低い利益しか得られない。したがって、敢えて非協力を選ぶインセンティブが生じなくなる。

 

非協力を選ぶと相手からと協力してもらえなくなる。汚れた水を垂れ流せば、地域から排除されるといった仕返しを受けることになる。反対に水をキレイに使うというルールの維持に協力すれば、地域の中で安定的に暮らし続けることができる。もちろん、本当はルールを破っているが、ルールを遵守しているフリをすることもできるが、水質維持ルールは、違反しているかどうかは水の汚れを見ればすぐにバレてしまう。下流の人は真っ先に気づくし、黙っているメリットはほとんどないから、すぐに苦情を言い、結果ルール違反は即座に判明し、ルール違反者は社会的制裁を受ける。

 

社会的制裁の事例が積み重なれば、ルール違反のデメリットは周知されるから、ますますルール違反の可能性は減少する。NHKで放映されてから訪問者が増えているそうで、そうなれば観光資源としてますます維持するメリットが上がる。さらに地元への誇りや愛着が増せば、それこそ損得抜きにシステム維持のヤル気が出るというものだ。

 

針江は水の郷として観光地としても美しい場所だが、人がどのようにルールを形成し、維持しているのか、そういったアカデミックな思考を刺激する場所である。

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↑試飲できる湧き水もある。な〜んとなく味の違いはわかった

 

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↑次の目的地おごと温泉に向かう途中の車窓から

 

レイクサイドのホテルで

ちなみに時間としては前後するが、高島市ではこの宿に泊まった。全室ではないが、たまたまレイクビューの部屋に泊まれた。隣には大型スーパーやコンビニもあって便利

 

今津サンブリッジホテル公式ホームページ|滋賀県高島市の琵琶湖畔でのご宿泊は当ホテルで!

 

高島市は日本の集落の協力関係構築メカニズムに思いを馳せることのできる素晴らしい場所であった。

 

 

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15年前の味、いまだ健在なり〜武蔵野市訪問(2017年5月27日)〜

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思い出の武蔵野市・吉祥寺 

今回は東京都武蔵野市。住みたい街ランキングで常に上位にランクインする吉祥寺を擁する。井の頭公園という大きな公園もあり、東京23区に属さないが、同格に、いやそれ以上におしゃれ感度で存在感を発揮するエリアである。

 

武蔵野市の人口は143,964人(2017年1月1日現在)で、その地名は明治時代の武蔵野村に由来する。「武蔵野」という平野名は存在せず、万葉集の東歌に登場する「武蔵野」に由来するようだ。また、吉祥寺には「吉祥寺」という寺はなく、それは江戸時代の明暦の大火によって現在の文京区にあった吉祥寺というお寺周辺に住んでいた人たちが焼き出されて武蔵野に移り住み、愛着のある吉祥寺という寺名を地名につけたのである。

 

武蔵野市 - 地名由来辞典

 

東京都・吉祥寺に吉祥寺はなく、なぜ駒込に吉祥寺がある? - 吉祥寺トリビア | マイナビニュース

 

私が大学生の頃に隣接する小金井市に住んでおり、通学途中にある吉祥寺にはよく立ち寄った。グルメ、おしゃれ、自然がコンパクトにまとまったこの街は、同じく通学途中にあった新宿よりもずっと私にとって楽しめる街であったし、当時の彼女とデートなんかもよくしたので、青春の思い出も豊富な街である。もっともデートスポットとして有名な井の頭公園でボートに乗ると公園の神社に祀られている弁財天が嫉妬して恋人を別れさせるという都市伝説があるが、そのせいかどうかわからないが、確かに井の頭公園でデートした当時の彼女とは最終的に別れることになってしまった。

 

閑話休題

 

大学を卒業してからもたまには寄ったが、最近は引っ越して東京東部に住んでいるため、めっきり立ち寄ることが少なくなった。大学在学時によく通ったあの頃から数えて約15年、久しぶりにあの頃に通った店のいくつかに行ってみた。

 

 

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油そばの王、ぶぶか

一店目がラーメン店の「ぶぶか」。 吉祥寺の有名なラーメン店といえば「ぶぶか」だ。とんこつラーメンも美味いが、ここの名物とはいえば「油そば」。

 

ぶぶか 吉祥寺北口店

食べログ ぶぶか 吉祥寺北口店

 

油そばはスープのないラーメンで、文字通り味の付いた油を麺に和えて食べる、まぜそばの一種である。ウィキペディア情報で恐縮だが、油そばの始まりは昭和30年(1955年)前後までさかのぼる。

 

油そば - Wikipedia

 

ぶぶかのオープンは1995年だから、ぶぶかが油そば発祥のお店というわけではないが、カップ麺にもなったりして、ぶぶかは近年の油そばブームの功労者の一店であると思う。油そばチェーン店の登場により以前に比べると知名度が広がった油そばであるが、ぶぶかはその定着期を支えたお店の代表といえよう。

 

さて、その油そばだが、店には体調が悪い人は食べないでくださいという警告の貼り紙が掲示されている。

 

これだよ、これ。当時からこの貼り紙があった。これまで訪れた街で私が度々ラーメン店に訪れていることが示すとおり、私はラーメンが大好きだ。1000円程度であれほどこだわりが詰まった料理は他に例がない。

 

mtautumn.hatenablog.com

  

mtautumn.hatenablog.com 

mtautumn.hatenablog.com

 

一般的にラーメンは不健康なイメージを持たれている。実際、塩分や脂質は多めだし、栄養素に偏りがあるのは間違いない。どのラーメンを選ぶかによってだいぶ変わるハズだが、まあ、偏見も手伝って健康志向の人はあまりラーメンを食べたがらない。

 

で、私はといえば、食事において健康はまったく気にしない。食事において大事なのは美味しいかどうかであって、健康になるかどうかは評価基準の埒外にある。したがって、ラーメンを食べるときだってまったく健康のことなんて気にしない。いや、むしろ健康のことなんて思い出させてほしくない。それゆえ、健康的なラーメンというのを私は目の敵にしている(大袈裟)。

 

件の油そばであるが、最近のチェーン店は油そばを普通のラーメンよりヘルシーであるとアピールしている。私はその考えが許しがたい。いいのだ、ラーメンで健康になんてならなくても。いや、ラーメンを食べているときに健康なんて余計なことを思い出させるな!とクレームをつけたいほどである(改めて大袈裟)。

 

油そばとは|油そば 東京油組総本店

 

私が足繁く通っていた15年前から、ぶぶかは体調悪い人は控えて下さいという警告を発していたわけだが、今でも油そばの不健康性(!?)をしっかり強調していたわけで、これに私は嬉しさのあまり思わず膝を打ったのである。

 

そう、そのとおり、油そばは健康を意識して食べるラーメンではないのだ。今私は強く主張しておこう、油そばに健康は不要であると。ぶぶかの油そばで育った私に油そばで健康になろうという邪念は微塵もない。

 

で、肝心の味は?というわけだが、やはりぶぶかの油そばは柔なチェーン店の油そばとは格が違う。油が濃い!!味も濃い!!美味い!!クセになる!!

麺を完食後、ライスをどんぶりに投入し、あまさず油そばを堪能したのであった。

 

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↑ ぶぶかの油そば

 

 多奈加亭で大好きなショートケーキを食べる

次は吉祥寺で有名なカフェ、多奈加亭(たなかてい)でお茶をする。まだ小金井市に住んでいた頃によく行ったのだが、私はここのショートケーキがとても好きだったのだ。特にスポンジが美味しい。卵の味がしっかりして、食感もしっとり。

 

吉祥寺 多奈加亭

食べログ 吉祥寺 多奈加亭

 

ぶぶかの油そばは健在であったが、こちらも思い出補正されずにいまだ健在であった。店の雰囲気も当時のままの落ち着いた空間で、15年前と変わったことといえばトイレがウォシュレットになったくらいか。当時からいいカフェであったが、それを維持し続けるのはすごいことだと思う。

 

ショートケーキも相変わらず美味。何度食べてもここのショートケーキは美味しいなぁ、と思う。スポンジが特に本当に美味しい。

 

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↑ 大好きなショートケーキ 

 

ハモニカ横丁で〆る

大学生当時は立ち飲みってしたことなかったのでよく知らなかったのだが、吉祥寺駅前に立ち飲み系の食事処が集まるハモニカ横丁と呼ばれる一角がある。昔からそうなのか記憶にないが、おしゃれで美味しそうなお店が立ち並ぶ。7時にはどのお店も活況で賑わっている。当時からもっと行っておけばよかったと若干の後悔。

 

ローズマリーを効かせたローストチキンが有名なPollo(ポヨ)で、軽く一杯。立ち飲みなので、軽く食べて一杯飲んで、さ、次の店にはしごってことをしても全然大丈夫そうな雰囲気。美味しそうなお店がたくさん並んでいるのだ、はしご酒こそハモニカ横丁の醍醐味だろう。

 

ポヨ

食べログ ポヨ

 

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↑ 店内から駅前を写す

 

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↑ お店と垣間見えるハモニカ横丁の雰囲気

 

というわけで、完全に食レポに終始した武蔵野市吉祥寺であったが、改めて来ても美味そうなお店が多いなぁ、とただただ感心するのであった。

 

 

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