全国すべての市を制覇する旅に出た猫

日本にはたくさんの魅力ある市があるにもかかわらず、なかなか探訪する機会がないので、コツコツ全国の市に訪問してみようと思いました。このブログはそんな訪問の記録。

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横浜市境木に突如として現れる男の城〜横浜市(2017年4月1日)〜

 

今回は横浜市

2017年3月現在で、人口は3,728,021人。言わずと知れた日本最大の人口を誇る市であり、みなとみらい地区や元町中華街、山手などの観光地を擁する街である。ハイカラなカルチャーのある港町であり、私が育った街である。

 

横浜の地名の由来は、長くのびた砂州に由来するという説、官道から外れた浜辺という説、浜の横が発展したといういくつかの説があるようだ*1

 

hamarepo.com

 

横浜市境木

今回訪れたのは横浜市保土ヶ谷区の境木。境木とは文字通り「境」であることが地名の由来。どことどこの境かといえば、それは武蔵国相模国の境である。

 

境木地蔵 - Wikipedia

 

境木といえば地蔵尊と商店街である。私はかつてここから15分程度の戸塚区品濃町に住んでいた。そのため、境木という地名はなじみがあり、一度くらいは来ているはずである。しかし、記憶に残っていない。そのため、横浜にはもっと他に訪れるべき場所はあると思うのだが、思い出の地めぐりも兼ねて境木を訪れることにしたのである。

 

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↑ 手水舎にも地蔵さまが 

 

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昼飯の中華。正しい中華食堂、だが味は

地蔵尊に参拝し、境木商店街で昼ごはんを食べることにした。

もともと行こうと思っていた寿司屋は原因不明のお休みで、次に行った鰻屋は「営業中」の札がかかっていたにもかかわらず、今日は鰻がないからやっていないとのこと。とても幸先が悪い。

 

そもそも境木商店街自体、いざ訪れてみると商店街といいつつ、さほどお店があるわけではなかった。空いてそうなお店といえば、上記2店舗を除くと、ややレトロな雰囲気を漂わせる中華屋さんしか見当たらない。

 

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というわけで、ほぼ唯一の選択肢といえる中華屋さんでお昼を食べることにした。

 

食べログ、八千代飯店

https://tabelog.com/kanagawa/A1401/A140305/14021528/

 

外観、内観ともに街中にある中華屋さんといった雰囲気だ。テレビがつけっぱなしにされ、ショッピングチャンネルが流れているあたり、その雰囲気をさらに強めている。のちに店主のおじいさんが高校野球の決勝戦にチャンネルを変えた。

 

頼んだのは、サンマーメンのセット(サンマーメン+半チャーハン)、ワンタン麺、餃子である。神奈川ご当地グルメサンマーメンを除けば、中華の王道たちの降臨である。

 

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サンマーメンとは五目ラーメンのようなラーメンで、 野菜やかまぼこ、肉などが入っている。

 

サンマー麺は戦前当時、調理人達のまかない料理で、とろみを付けた肉そばが原形になったと言われています。 神奈川県横浜市中区の中華料理店から戦後(昭和22~23年頃)発祥したと云われおよそ60余年の歴史があります。醤油味がベースのスープに具は肉・もやし・白菜、その季節に有る具にあんをかけた簡単なものでした。しかし当時ではラーメンよりボリュームがあり美味しく、あんがかかっているので寒い季節は温まって元気が出てくることから徐々に商品化されお店にも並ぶようになってきたのです。

(中略)

サンマーメンと言うと「秋刀魚が乗っているラーメン?」と思っている人も事実いますが、サンマーメンは漢字で「生馬麺」と書きます。「生=サン 馬=マー」は広東語の読み方で、調理法もやや甘めの広東料理に属しています。 生馬麺の意味は。生(サン)は「新鮮でしゃきしゃきした」と言う意味。 馬(マー)は「上に載せる」と言う意味があります。つまり新鮮な野菜や肉をサッと 炒めてしゃきしゃき感の有る具を麺の上に載せることから名付けられたと伝われているのです。

(中略)

今では横浜の中区だけではなく、神奈川県全域はもちろん関東各地でもサンマーメンを提供するお店が増えております。 伝統のあるサンマーメンですが、では「サンマーメンとはこうして作るものだ」と言う定義はあるのでしょうか? 実は確定された定義はありません。

(中略)

しかし少なくても「肉ともやしや白菜を使用し、野菜はシャキッと手早く炒め、必ずとろみを付けてコクのある具に仕上げる事」は共通しているようです。

 

www.sannma-men.com

 

さて、肝心のお味といえば、昔ながらの中華食堂の味を想像していただければ基本的に遠くはない。が、けっこう味は薄い。美味しいか否かについては賛否両論があろう。ただ、野菜あんかけがかかっているだけあって、サンマーメンセットはけっこう腹がふくれる。高齢のご夫婦が営んでいるかと思いきや、途中で息子さんらしき人がお店を手伝っていたので、彼がこの先にお店を継ぐのだろうか。

 

境木の住宅街を歩く

腹は膨れた。腹ごなしをかねて境木を歩いてみることにする。といっても小規模な商店街を抜ければ一面は住宅街である。 

 

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↑ 横浜銀行の支店があるから、商店街が存続できるという説がある。なぜなら、銀行を利用するために人が訪れ、ついでに商店街を利用するから*2

 

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↑剪定されていない豪快な枝ぶりの桜

 

ぷらぷら散歩もして、といって基本的に住宅街だし、寒いしそろそろ帰ろうかなと思った矢先、珈琲焙煎の文字が目に入る。

 

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正直、賛否両論あろう中華屋さんで昼ごはんを食べ、やや否定派の私としてはコーヒーで口を浄化したい思いがあった。しかも、なかなかこだわっている雰囲気を醸し出している。

 

カフェではなく、珈琲豆焙煎専門店とのこと。ただ、試飲させてくれるらしい。

店名はquerstudio。

http://www.querstudio.com/querstudio/index.html

 

面白いことにドアの前で靴をぬいでスリッパに履き替える仕組みになっている。

店内には焙煎中のご主人お一人。珈琲の焙煎が好きで退職後に始めたお店とのことだ。

試飲としてグアテマラの珈琲をいただく。

 

せっかくなので何か豆を焙煎してもらおうと思ったのだが、一番好きなケニアの豆を品切れだそう。ケニア産であれば何でもいいということであれば、すぐに入荷できるそうなのだが、ご主人が納得いく質の豆がなかなかないそうなのだ。それゆえに品切れ。比較的酸味があり、フルボディな豆ということで、代わりにコロンビアの豆をいただくことにした。

 

ガス焙煎機で15分ほどつきっきりで焙煎するそうだ。その間珈琲を試飲して待つ。

 

ガス焙煎機の音が部屋を包む。自動の焙煎機があるそうだが、ご主人のこだわりは自動焙煎機の使用を許さない。

 

我が家にはグラインダーがない。その旨を告げると特別にお店で挽いてくれるとのこと。しかし、その顔はとても悲しそうである。

 

それもそのはず、豆は挽いてしまうと酸化が進んでしまう。ご主人の例えによると、吹きさらしの中で容器に入れずに寿司を持ち帰るようなものだそうだ。 それではあっという間に味が落ちてしまうことが容易にわかる。ご主人は今日は試飲だけでいいとおっしゃってくれたが、そこまで力説されれば、グラインダーを自分で調達しないわけにいかない。どうやら、今から私は珈琲の道をスタートすることになりそうだ。

 

コロンビアの豆を焙煎してもらい、200グラムで1250円也。

 

境木商店街の名物は地蔵尊にあやかった地蔵最中。それを買うはずだったが、私の手には焙煎されたばかりのコロンビアの豆。

 

飲むのが待ち遠しい。早くグラインダーを調達しなければ。この店のおかげで私の人生には楽しみがまた一つ増えた。 

 

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失われた地名と失うことのコスト、あえて変えたい心理

 

「鶴」と名のつく地名

「鶴」という名が地名に付いているからといって、そこが鶴とゆかりがあるとは限らない。

 

古代には水の流れているところが「水流」とよばれた。宮崎県には川水流などの表記をとる地名が残っているが、今日では「水流」に「鶴」の字があてられる場合も多い。

つまり、鶴のつく地名の多くは、ツルがいたことにもとづくものではなく、川のそばをあらわすものなのである(武光誠『地名から歴史を読む方法ー日本史の意外な真相が地名に隠されていたー』河出書房新社、2004年、59頁)

  

 

私が先に行った埼玉県鶴ヶ島市は鶴が来ることに由来するそうだが、上記のように武光氏によると、地名の鶴はしばしば「水流(つる)」に由来するそうだ。

 

mtautumn.hatenablog.com

  

川は生活に欠かせない水を提供し、他方で洪水のように害を及ぼすこともある。それゆえ、どこに川があって、その川がどのような特質を持つのかを地名に残すことで、誰もがその情報を共有できるようになる。

前に柳田國男を引用して書いたとおり、地名とは複数人の間での理解を可能にするための符号なのである。

 

 「地名とはそもそも何であるかというと、要するに二人以上の人の間に共同に使用せらるる符号である」(柳田國男『地名の研究』17頁)

 

mtautumn.hatenablog.com

 

実際、全国には川にちなむ名前が多いそうだ。

落合、二俣、川合、河合、合川、轟、等々力、土々呂、長瀞、鶴間、鶴舞、平貝、中貝、鵜戸、福良、鯉川などがそうである。

貝は、海の貝ではなく、「峡」(かい)が転じたものだそうだ。福良は、川の水がたまった「袋」が変化。今日でも子供の名前に当て字的なキラキラネームが話題になっているが、なかなかどうして昔の人も知恵を絞っていい名前を考えだそうとしていたのである(武光、57ー59頁)。

 

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地名は残すべきか、それとも変えるべきか

しかし、時代の変遷とともに別の字が当てられて、本来の意味が消失することもある。

 

上の鶴と水流がその一例だ。

 

必要性がなくなって別の文字が当てられるのであれば問題はなかろうが、そうでないなら、貴重な情報源が失われてしまうことにもつながりかねない。

 

しかし、情報として重要であっても、それが洪水等の災害を連想させる名称の場合、その土地は人気が無くなるかもしれないし、すでに住んでいる人からしてももっと縁起のいい名前に変えたいと思うのが人情というものだ。

 

それゆえ、鶴といった縁起のいい名前が当てられるわけだが、情報としての必要性と自分が住む土地は素晴らしい場所であってほしいという願いとの間に大きなジレンマが存在するのである。

 

東日本大震災のとき、海沿いでもないのに、液状化現象が発生した地域がある。

 地名や古地図を紐解けば、かつてそこに沼などがあったことがわかったりするのであり、危ない地名を扱った本が出版されたりもした。

 

この地名が危ない (幻冬舎新書)

この地名が危ない (幻冬舎新書)

 

 

これは地名の重要性と安易な地名変更への警鐘といった含意を持つが、たとえそれが真実であっても危ないとされた地名に住む人にとってはまったく楽しくない話だろう。

 

持ち家であればそう簡単に売り払って他所に移り住むわけにはいかないし、危ない地名であることが判明して資産の価値が減ってしまうかもしれない。

 危ないと言われようが長年住んでいればその土地への愛着もあろう。

 

変わるからこそ地名探索の面白さも倍増するというものだが、地名は単に場所の識別性を示すだけでなく、人々の思いや価値観にも深く関わるからこそ、多様な地名が日本に存在するのだろう。

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まさに湘南〜茅ヶ崎訪問(2017年3月25日)〜

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今回は茅ヶ崎

今回は茅ヶ崎

この前の大船も自分の人生ゆかりの土地だったが、今回の茅ヶ崎もそうである。

 

茅ヶ崎は人口20万人を超える特例市である。地名の由来はいくつかあるようだが、海岸にチガヤがたくさん茂っていて、砂州が岬になっていたからというのがその一つである。

 

hamarepo.com

 

私の茅ヶ崎の思い出

私は幼稚園で二年間+小学校1年の合計3年間を茅ヶ崎で過ごした。約30年前のことである。

 

今でこそ茅ヶ崎サザンオールスターズやサーフィンといったオシャレタウンとして認知されているが、小学生の私はサザンを知っているわけでもなく、それに当時はそこまでサザンゆかりの街として茅ヶ崎も売り出していなかっただろうから、一時期とはいえ、自分がオシャレタウンで育ったという感じはしない。

 

お店に関する当時の記憶といえば、母親に連れられて行ったイトーヨーカドーダイクマくらいである。子供の生活圏などおよそそんなものであろう。

 

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イトーヨーカドーは健在であったが、ダイクマはもうなかった。

 

matome.naver.jp

 

イタリアンでランチを食べる

茅ヶ崎駅に来たのは約30年ぶりである。

 

南口の前を歩けば、オシャレで美味しそうなレストランが並んでいる。

 

はじめに行こうと思っていたこちらのお店は予約で一杯で断念。

 

食べログ、シェ・ヒャクタケ

https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140406/14003805/

 

歩いて3分ほどのこちらのイタリアンに変更。こちらも混んでいたが、幸いカウンター席が空いていた。

 

食べログ、パリエッタ

https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140406/14042144/

 

オシャレな店内に適度のガヤガヤ感。席に着いたお客さんが楽しそうにしている。いい店の予感がする。

 

頼んだのは猪のタリアテッレのコース。

 

前菜の盛り合わせ。けっこうな品数。個々のメニューの名前は忘れてしまったが、どれも美味しい。鯖のマリネやリエットのような動物性タンパク質の料理も美味しいが、けっこう野菜が美味しかったりする。どこの野菜だろうか。三浦も近いから、案外三浦野菜だったりするのだろうか。

 

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自分は猪のタリアテッレを食べ、相方から穴子のグリルを分けてもらう。タリアテッレは卵の練りこまれた麺が上手い。穴子は本当は方々だったのだが、今日は方々がもうないらしく、穴子となったのだが、香ばしく焼き上げれらた身にビーツのソースがよく合う。店員さん曰く、穴子には根菜のソースが合うそうだが、その言葉に偽りはなかった。付け合わせの野菜が相変わらず美味い。

 

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多少オペレーションに難があるのか料理がサーブされるのに時間がかかる気がするのでそこが改善されるとさらに良くなるのにと思いつつも、ここは茅ヶ崎に来たときに訪れるべきお店として推薦できる。

 

茅ヶ崎の地形

腹が満たされたので、街を散策するとしよう。

 茅ヶ崎駅前には観光案内所があって、ことりっぷ茅ヶ崎版が無料でもらえる。私が行ったときにはすでに全て借りられた後だったが、5台ほどレンタサイクルもある。

 

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地図を開いて地名を見る。幼少期の記憶からして、茅ヶ崎は平地というイメージがあったが、名前から推測するに高地や窪地を連想させる地名が多い。松ヶ丘や旭ヶ丘、十間坂など。

 

ランチ後、コミュニティバスで海に向かう。丘のつく地名をバスが通るが、さほどの高低差は感じない。もっとも物理的な高低差はさほどなくても地元の人だからこそわかるわずかな違いもある。以前のブログにも書いたとおり、物理的な高低差はあまりなくともわずかな窪地であれば、雨の日にそこに水がたまり、地元の人がそこに窪地があることを認識し、それにちなんだ地名をつけたりする。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

実際に国土地理院のウェブサイトで地形図を見ると、確かに丘や坂のつく地名の周辺はやや高地になっているように見える。

 

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maps.gsi.go.jp

 

正解は調べてみないとわからないが、全国の市を制覇する目的を掲げ、地名に関する本を読んだりしただけでも、地図を見る楽しみが増えた。

 

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↑ 海の近くに引退した(?)コミュニティバスが展示されていた 

 

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海岸を歩く

海に着く。左手には江ノ島、正面には烏帽子岩、右手には伊豆半島が見える。天気が良ければ富士山も見えるだろう。

 

海水を浴びるにはかなり肌寒い気温だったが、海はとても気持ちがいい。

 

西に向かって歩く。砂浜は足を取られて歩きにくいが、とはいえ、何歳になっても砂浜を歩くのは気持ちがいい。普段ビルに囲まれた暮らしをしていると、遮るもののない大海原というのはとても爽快である。海は楽しい。

 

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↑ マンホールに烏帽子岩 

 

 

f:id:mtautumn:20170326091557j:image ↑ 願いが詰め込まれすぎなんじゃないかと思われるモニュメント。モニュメントも荷が重かろう 

 

茅ヶ崎に住んでいた頃は海に近い借家だったので、よく海岸で遊んでいた。当時の記憶はおぼろげであるが、地曳き網イベントもあったことを覚えている。そのときはたくさんのシラスが取れた。シラスは湘南名物。そもそもなんのイベントで地曳き網をやったのかまるっきり記憶がないのだが、シラスがたくさん取れるとはさすがは湘南の海である。得物のシラスをたくさん家に持ち帰ったが、美味しいとは思ったものの子供にはそこまでテンションの上がるものではなく、なんかちっちゃい魚がたくさん取れたなぁ、くらいの記憶しか残っていない。

 

今なら取れたてシラスを食べられるなんて、これ以上の幸せはあるだろうかと声を上げて喜んであろうに、子供とはつくづく罪な生き物である。

 

そんな回想をしながらしばし歩くと、サザンビーチの近くのカフェがあった。こじんまりとしたカフェでテラスもある。今日の気温ではテラスは寒いので店内にしたが、店内からもオーシャンビューという絶好のロケーション。私はフォカッチャ、相方はワッフルを食べたが、ロケーション頼みかと思いきや、けっこうちゃんと美味しい。オシャレな内装、最高の眺め、美味しいご飯、三拍子揃ったカフェだった。

 

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retty.me

 

日帰り温泉施設

茅ヶ崎駅周辺には日帰り温泉施設が二ヶ所あり、いずれも駅前から無料送迎バスが運行されている。

そのうちの一軒で歩いて疲れた身体を癒す。

 

www.yukaisoukai.com

 

軽く食事を食べて帰路につく。

 

今日のお土産

さて、 今日のお土産は茅ヶ崎駅南口で見つけたオシャレなパン屋さんで買ったパン。こんなパンまで買えるなんて、茅ヶ崎は本当にオシャレな街であった。

 

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今日のブログで何回オシャレという言葉を使ったことだろう。他の言葉が思い浮かばない自分の語彙の少なさもあろうが、とはいえ確かに茅ヶ崎はとてもオシャレな街だったのである。

 

nanosh.net

 

さて、次はどこへ行こうか。

  

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大船、ずっと市だと思っていた〜鎌倉市(2017年3月18日訪問)〜

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 1.大船が市でなかったなんて

今回訪問したのは鎌倉市である。鎌倉市といえど、降りたのは大船駅

 

私は大学に入るまで横浜市の戸塚区に住んでおり、最寄駅の東戸塚から逗子にある中高一貫校に通っていた。

 

ときは1990年代後半。この頃にこの界隈で横須賀線ないし東海道線を使っていた人なら理解してくれるのではないかと思うのだが、大船が鎌倉市の一部というのはけっこうな驚きなのである。大船はずっと大船市だと漠然と思っていた。

 

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なぜかといえば、逗子と東戸塚の間で最も駅前が発展しているように見えたのが大船駅だったからである。特に駅に直結したルミネの存在がその勘違いを助長したように思う。当時の戸塚駅は今のように再開発されていなかったし、東戸塚駅に西武やショッピングモールはなかった。

 

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↑私を勘違いさせた元凶のルミネ(私が勝手に勘違いしたのが実情だが)

 

それに何より大船駅のプラットホーム数が多い。10番線まであり、東海道線横須賀線根岸線京浜東北線)、横浜線が停車する。湘南モノレールにも乗り換えられる。大船はちょっとしたターミナル駅であり、その点も他の沿線駅と一線を画す。

 

駅のプラットホームが多い=拠点=都市という安易極まりない類推により、私は長らく大船を市と勘違いしていたのである。

 

実際は鎌倉市の北の端っこであり、いざ降りてみれば、鎌倉とはだいぶ雰囲気が異なる下町情緒に溢れる街である。

 

高校生ぐらいで訪れるのはせいぜいファーストフードとゲーセンくらいである(もっとも当時の私は家に帰ってプレステをやることを人生の最優先としていたため、大船に立ち寄ってゲーセンはおろかファーストフードに行くこともあまりなかった)。

 

雰囲気ある飲み屋があったり、オシャレなビストロがあったり、散歩にちょうどいい湖畔があったり、大人になって訪れてみれば、むしろ今のほうが大船の魅力がわかる。

 

それに今はもう社会人だ。微々たるものとはいえ稼ぎもある。お金を(さほど)気にせずに好きなものを食べられる。大人になった私に大船で恐れるべきものは何もない。観音さまの慈悲深い眼差しに見守られて、私は大船駅に降り立った。

 

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2.大船で正しい定食を食べる

さて、時間は昼の13時前。早速ランチといきたいわけで、事前に検索した地魚を出す回転寿司「豊魚」に行ってみることにした。一階は魚屋でその二階が回転寿司らしい。

 

hougyo.com

 

途中雰囲気のある店を通り過ぎ、魚屋の階段を登るとすでに多くの待ち人が。名前を書いて待つシステムだが、店員さんに聞いてもどれくらい時間がかかるかはわからないという。

 

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↑雰囲気満点のお店を通り過ぎ

 

待つかどうか迷ったが、ふと思い出すのがさっき通り過ぎたあの雰囲気のある店。

 

豊魚は諦めてそちらの店に行くことにする。

 

店名は「観音食堂」。大船らしいストレートなネーミングだ。観音様のご加護からか某グルメサイトの点数もとても高い。

 

食べログ「観音食堂」

https://tabelog.com/kanagawa/A1404/A140401/14002799/

 

観音食堂も店内はお客さんで一杯で外で待ってる人もいたが、豊魚ほどではない。店内の雰囲気も清く正しい飲み屋といった雰囲気でとてもそそる。こちらのお店で待つことにする。

 

待つこと10分足らずで、席に着くことができた。

 

店内には多数のメニューを書いた札が掲げられている。テーブルにもメニューが置かれているが、膨大な数のメニューだ。多すぎるメニューは人を混乱させてよくない。こんなに魅力あるメニューをたくさん用意されては、候補を絞り込むことさえ簡単ではないのである。他のお客さんは簡単に決断できているのだろうか。

 

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↑それぞれ裏面にもメニュー。さらにこれに載っていないメニューが壁の札にかかっているから油断できない

 

逡巡することしばし、小柱かき揚げ定食と刺身盛り合わせを頼むことに決めた。

 

昼過ぎだというのに、地元の酔客で一杯だ。カウンターのご年配の紳士たちが政治談義に花を咲かせている。 なんとも粋な店だ。

 

小柱かき揚げ定食が到着。衣厚めで三つ葉を効かせた庶民派かき揚げである。

 

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↑写真だとかき揚げが一つにしか見えないが、実際は二つ

 

かき揚げと天ぷらには大きく二パターンあるように思う。一つは高級天ぷら店で一つずつ揚げては供される衣薄めでさっくりした芸術的な天ぷら。もう一つはややフリッター的とでも言うか、少し衣厚めの天ぷら。私の勝手なイメージかもしれないが、後者は街中にあって安く気軽に食べられる年季の入った食堂的なお店でよく出される感じ。

 

どちらが好きかは完全に好みの問題だが、同時に大事なのはお店の雰囲気とマッチしているかどうかだ。

 

かんのんの雰囲気は完全に庶民派天ぷらが良く似合う。やや油を吸ったかき揚げをつゆに浸して食べる。こういうかき揚げにはやはりつゆだ。ご飯が進む。正しい完璧な定食である。

 

刺身盛り合わせは、マグロ赤身、青柳、甘エビ、ホタテ、コハダなり(たぶん)。新鮮で美味しい。

 

酒を飲んでる人が多いため、店の中にいるとまだ昼過ぎであることを忘れてしまう。勘定を払いお店を出て、まだ昼過ぎであることを再確認する。現実に戻った感じだ。正しい定食を食べ、何かとても正しいことをした気分になる。

 

腹ごなしも兼ねてしばし歩く。

 

大船にはかつて松竹の撮影所があった。今もところどころにその名残がある。

 

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東京や神奈川の開花も近づいているが、小川沿いの桜はまだ蕾の段階にもきていない。桜が咲けばさぞきれいな桜並木であろう。

 

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↑18禁のソメイヨシノ

 

桜祭りは4月1日。ちょうど満開の頃かもしれない。桜の開花時期は天候に左右されるから、いつ開催するかはある種の博打だ。早すぎると咲いていないし、遅いと葉桜になってしまう。

 

3.鎌倉湖。最高に穴場の散策スポット。そして最恐の。。。

 のどかな住宅地を歩く。ふとバスに乗ってみようと思った。折しも交差点にはバスが信号待ち。行き先は「鎌倉湖畔」となっている。これはなんとも魅力的な行き先ではないか。

 

というよりもそもそも鎌倉に湖があることをまったく知らなかった。ちょうどバス停もすぐそこにある。迷わず乗ってみることに決めた。

 

バスの運転手さんに鎌倉湖に行きたい旨を告げると、今泉不動で下車するとよいと教えてくれた。どうやらそこから鎌倉湖の公園に行けるらしい。

 

公園名は散在が池森林公園という。鎌倉湖というのは俗称らしい。

 

鎌倉市/散在ガ池森林公園の紹介

 

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鬱蒼と茂る木々。ほとんど誰もいないと言ってもいいほどの人気のなさ。そのわりに整備された遊歩道。穴場である。これだけ整備された遊歩道なのだ。もっと使ってやればいいのにと思う。それほどまでに人がいないのだ。確かに大船駅からバスを使わなければならないから、アクセスが容易とはいいがたい。それゆえ、基本的には近所の人が散歩に来るのがせいぜいといったところなのだろう。

 

湖を一周できるわけだが、コースとしてはのんびり小道コースと馬の背コースの二つがある。二つといっても一周できるコースが二つあるという意味ではなく、湖の反対側に行けるコースが二つあるという意味である。そのため、一周するためには両方のコースを行く必要があり、もしくは来た道をそのまま戻る、または湖の反対側にある出口から出るという行き方がある。

 

とはいえ、湖と言いながら実際は池程度の大きさで、のんびりコースが800メートル、馬の背コースが700メートル、合計しても1500メートル程度だ。往路をのんびりコース、復路を馬の背コースにすることにした。

 

木々が茂り、本当に山の中といった感じだ。湖の反対側に座って休めるちょっとしたスペースがあった。そこで通りすがりのおじさんと出会い、しばし会話をする。なんでも隠れたイワタバコの穴場らしい。花に疎い私はイワタバコと言われてもすぐにはイメージできなかったが、どうやら薄紫色の花のようだ。

 

allabout.co.jp

 

 復路は馬の背コースだが、これが思いの外アップダウンがきつい。馬の背というよりもラクダの背といったほうがふさわしい。わずか700メートルの間に階段を登ったり降りたり。これは間違いなく翌日筋肉痛コースだ。前方から来たご老人が、こりゃかなりきついとこぼしている。いや、まったくその通り。途中ランニングする人ともすれちがったが、短いながらこのコースでトレーニングをしていれば、悪路を物ともしない強靭な肉体が出来上がるであろう。

 

無事にスタート地点に辿り着いた。鎌倉湖に別れを告げてバス停へ。大船駅までのバスは20分程度であったが、私はあっという間に眠りについた。

 

で、後日談なわけだが、鎌倉湖とはいかなる場所なのか調べてみると、どうやら神奈川県有数の心霊スポットらしいのだ。むぅ。。。

 

しかも湖を一周すると不幸が訪れるというオマケもついているようだ。もうすでに一周してしまっているので、今更帳消しにはできない。噂がデマであることを祈る。

 

blogs.yahoo.co.jp

 

木々に囲まれて湖もあるという立地で、散策コースとしては完璧。それにもかかわらずほとんど人がいないわけで、それだけ穴場の散策コースといえるわけだが、同時にほとんど人がいないわけだから、事故があってもすぐには発見されなかっただろう。心霊スポットになってしまうのもわからなくはないと思った。

 

4.帰還

大船駅前のホテルメッツに併設されている「白ヤギ珈琲店」で一服。

 

www.7andi-fs.co.jp

 

頼んだのはドリップコーヒーとフライドポテトであったが、疲れていたためか、写真を撮り忘れ。最近できたのかとても綺麗なカフェであった。

 

大船駅構内の「大船軒」で「伝承鯵の押し寿司」を買う。

 

湘南鎌倉 大船軒

 

f:id:mtautumn:20170319172739j:plain

 

伝承鯵の押し寿司は普通の押し寿司より300円ほどお値段が高めの押し寿司。小鯵の身を贅沢に使った商品とのこと。

 

鮮度の高い極上の旨味のある小鯵、その小鯵からわずか2切れしか取れない身を伝統の合わせ酢でしめ押寿しにしました。

 

www.ekiben.or.jp

 

こういう疲れたときには酸っぱいものがいい。高校生くらいだと押し寿司に大して魅力を感じないものだが、大人になって食べると、この酢で〆た具合がたまらなく美味に感じるのである。これも大人になった証だろうか。

 

鎌倉市にありながら鎌倉とはまったく異なる下町情緒を育む大船。この街の魅力が分かるようになったのは、それだけ自分が大人になったからなのだろう。

 

商店街には他にもそそられるお店がたくさんあった。近いうちにまた来ることになるだろう。

 

この日はノスタルジーと成長を両方感じられた日であった。

 

さて、次はどこへ行こうか。

 

5.鎌倉データと地名由来

鎌倉市人口:172,256人(2017年2月1日現在)*1

・鎌倉の地名の由来はいくつかあるようです*2

①屍(かばね)+蔵(くら)=かばねくらーー>かまくら

②鎌(鎌槍)ーー>かまくら

③かまど(鎌はかまどの意味)+倉(谷の意味)=地形がかまどのようであり、一方が開けて倉のようーー>かまくら

などなど

・大船の地名の由来*3

「昔は粟積み船が出入りしていたと伝えられ、「粟船」と書いて「おおふな」と読んだと言われています」

 

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日本人のパネル好きも地名に原因?

昔は今ほど交通機関も情報通信手段も発達していなかったから、人々があちこちに移動したり、余所のことを気軽に調べることもなかっただろう。

それゆえ、余所と地名がかぶっても普通の人が混同して困ることもあまりなかったと思われる。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

だからこそ、かつては日本各地に同じ地名があったのであり、それで困るわけでもないから、誰も気にしなかったのである。

 

江戸時代には、駿府甲府もともに府中であった(八幡和郎『日本史が面白くなる「地名」の秘密』176ページ)。

 

日本史が面白くなる「地名」の秘密 (歴史新書)

日本史が面白くなる「地名」の秘密 (歴史新書)

 

 

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さらに言えば同名だけでなく、同音の地名まで含めればさらにその数は増える。現代でも同音地名はいくつもある(同上、183ページ)。

 

みよし:三次市(広島)、三好市(徳島)、みよし市(愛知)

いずみ:出水市(鹿児島)、和泉市(大阪)

かしま:鹿嶋市(茨城)、鹿島市(佐賀)

こうなん:江南市(愛知)、香南市(高知)

こが:古河市(茨城)、古賀市(福岡)

さかい:堺市(大阪)、坂井市(福井)

さくら:佐倉市(千葉)、さくら市(栃木)

だて:伊達市(北海道、福島)

つしま:津島市(愛知)、対馬市(長崎)

ふちゅう:府中市(広島、東京)

ほくと:北杜市(山梨)、北斗市(北海道)

やまがた:山形市(山形)、山県市(岐阜)

 

余所のことを気にせずに済んだ昔はよい。でも、人々の移動が活発化し、余所の情報も気軽に知られるようになると、同名同音地名はけっこう紛らわしいことになる。

 

実際、同名のせいでとんでもない勘違いが起きた。

江戸時代、出雲松江藩主であった堀尾忠晴は、1632年に幕府から丹波亀山城京都府亀岡市)の天守閣を解体するよう命令されたが、堀尾さんは今の三重県亀山市、かつての伊勢の亀山城天守閣を解体してしまったらしい。

 

丹波の地元の人なら亀山といえば、丹波亀山城しか知らなかったであろうから、解体する天守閣を間違えるようなことはなかっただろう。しかし、堀尾忠晴は不幸にして他にも亀山城があることを知っていた。昔は伊勢の亀山城のほうが有名だったのかもしれないとも思ったりもしたが、ウィキペディアを見る限り、丹波亀山城明智光秀の居城だったのであり、なかなか知名度がありそうな城である。伊勢の亀山城天守閣が解体されてもおかしくない伏線があったのだろうか?それとも単に堀尾忠晴がそそっかしいだけだったのか。

 

亀山城 (丹波国) - Wikipedia

亀山城 (伊勢国) - Wikipedia

 

堀尾忠晴は出雲松江藩主だったというから、それなら丹波亀山城のほうが近いわけで、なぜに素直に近いほうの城だと思わなかったのか?松江藩主に伊勢亀山城の工事を依頼するのはおかしいと思わなかったのか?もちろん、江戸時代では大名に城の造営などをさせられていたわけだから、遠方の城の工事を依頼されるのは当時としてはさほど珍しくなかったのかもしれないが。

 

とはいえ、なんにせよ知っていたがゆえに、堀尾忠晴は間違えて別の天守閣を壊してしまったわけだ。

 

間違いに気づいたときのからの心中はいかに。

 

第二第三の堀尾忠晴を生まないにはどうすべきか?

 

それはすなわち文字で書くことだ。文字であれば同音の問題は解決され、同名であっても会話自体を文字化すれば勘違いは避けられる。

 

社会人になると要件はメモするように習うが、日本の地名や人名が間違えやすい特質があるからこそなおさらメモの重要性が強調されるのやもしれない。

 

テロップの氾濫はテレビ業界が浮ついているからではなく、そうしないと間違えやすいからだった。 

 

そもそも日本語というのは、同音異字が非常に多い言葉です。とくに固有名詞で顕著です。外国人が日本のテレビのニュース番組を見て不思議がるのは、やたらとパネルや字幕が多いことなのですが、これも、地名や人名を画面上、漢字で見せないと耳で聞くだけでは理解しにくいからです(同上183-184ページ)

 

地名のわかりにくさがテロップを必要としたというのはこれまで知らなかったが、言われてみれば確かにと納得できることである。

 

ならば、まぎらわしくて間違えるリスクが高い日本語を止めるという手もある。漢字、ひらがな、カタカナというまったく異なる文字を使い分けるというのは世界的にも珍しい言語である。

だが、さまざまな表現方法が可能なところが日本語の良さであり、われわれの気持ちの機微を伝えるのに最善の言語でもあるのだろう。

同音異字などは利便性の観点からは何のメリットもないことだが、それでもその地名を譲ることはできないのは、やはり地名は識別性という面に加えて、その場所の歴史や人々の思い入れが込められているからなのだろう。

 

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識別性+愛=珍地名??

 

地名とは何か

 「地名とはそもそも何であるかというと、要するに二人以上の人の間に共同に使用せらるる符号である」(柳田國男『地名の研究』17ページ)

 

 

地名の研究 (講談社学術文庫)

地名の研究 (講談社学術文庫)

 

 

では、その符号はいかなる基準によって決定されるのか?

 

地名は我々が生活上の必要に基いてできたものであるからには、必ず一つの意味をもち、それがまた当該土地の事情性質を、少なくともできた当座には、言い表していただろうという推測である。官吏や領主の個人的決定によって、通用を強いられた場合は別だが、普通にはたとえ誰から言い始めても、他の多数者が同意をしてくれなければ地名にはならない。(中略)よほど適切に他と区別し得るだけの、特徴が捉えられているはずである(75ページ)

 

 

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性器と地名ときりたんぽ

そう、地名には他と区別できる識別性が必要であり、その識別性を用いることへの他者の明示的、暗黙的な同意が必要である。

 

よほどの権力者でない限り、自分勝手な思いつきで地名を決めることはできない。今日の九州の福岡市にゆかりの地の福岡(今日の兵庫県)の名を黒田長政が付けられたのは、彼が殿様だったからに他ならない。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

地名命名の基準も様々で、女性器を語源とする地名さえある。

 

昔の人の感情は驚くべく粗大であった。羞恥と言う言葉の定義が輸入道徳によって変更されらたまでは、男女ともにおのおのその隠し所の名を高い声で呼んでいたらしい。しこうしてその痕跡を留めているいる地名のごときは、よほど起源の古いものと見てよろしいのである。これも海岸において往々遭遇するフトまたはフットと言う地名は、疑いもなくホドすなわち陰部と同じ語である(162ページ)

 

該当する地名としては、富土、風土、富津、布都、保土ヶ谷などが挙げられる。

 

「サヨナラ、きりたんぽ」は炎上の末、タイトル変更の憂き目にあったが、日本各地にはきりたんぽどころではなく、露骨に性器から名前を付けてしまった地名がある。

 

性器を連想させる名前は下品で、きりたんぽへの冒涜というのが「サヨナラ、きりたんぽ」への苦情の主たる理由だが、性器を連想させる名前はけしからんという意見は、そのまま保土ヶ谷への挑戦状であるともいえる(いや、いえないか)。

 

もっとも古代は陰部を下品なイメージでは捉えていなかったのかもしれない。古事記に載るオオゲツヒメ大宜都比売)は尻から食材を出す。それが汚いとしてスサノオに殺害されてしまうわけだが、彼女の陰部からは麦が、尻からは大豆が生まれたわけで、汚いというイメージもあった一方、生命や豊穣をイメージさせる場所でもあったのだ。実際、新たな生命を生み出す器官である。

 

オオゲツヒメ - Wikipedia

 

時代が変われば、考え方も変わる。

 

 

さて、それはさておき。。。

 

今日の新地名命名がモメるのは日本が民主主義国になったことの証左ともいえる。地域の実情を無視して珍地名を付けようとすれば、住民はおろか、日本各地から非難の嵐となる。かかわるアクターが増えれば、それだけ多数の意見がぶつかるから命名プロセスも複雑化するだろう。

 

民主主義でなくても、地名の決定は大変だったにちがいない。急いで決めなければならないこともあったろう。朝廷が、幕府が、大名が、守護が、地頭が、領主様が、御意見番が、なんらかの決まりをつくったり、領地争いを調停しなければならなかったとする。明確な地名がすでに存在してればよい。しかし、そうでなければ、その場で決めなければならないかもしれず、そうしたら、複雑な名前を付けるのは無理で、すでにある地名に東西南北や大中小、上中下、数字をエイやっと追加して名付けてしまったこともあるだろう。争いがあれば、円満解決のため、あえて縁起のかついで瑞祥地名をつけたこともあったやもしれない。

 

知識の向上と愛は珍地名を生む?

知識や参考にできる情報が増えればそれだけ新たな地名が増えると思われる。最近ユニークな珍地名が出てくるのは、昔と違って、われわれは多くの情報を収集し、それを理解できるだけの能力と手段を得たからではないだろうか。

 

昔の人は読み書きそろばんができない人も多く、テレビやインターネットもなかったから、興味関心は日常の生活空間に限られた。一部の知識層を除けば、古代・中世・近代の一般の人々は海外でどういった地名があるとは知らなかったから、当然に海外地名を参考にして自分の住む地域の名前を付けることはできなかった。海外どころか日本国内であっても、たとえば江戸時代であれば、一般の人が他藩の地名を知る機会はあまりなかったし、そうする動機も必要性もなかったであろう。

 

生活空間内での識別性で十分であれば、他藩と同じ地名がかぶったとしても困らない。多くの地域住民が地域外に移動することがないのであれば、他藩で同名地名があろうと、地域内での識別性さえ担保されていれば十分だ。多くの人は他藩に同じ地名があるとは知らないまま、そしてそれで困らないまま生涯を終えるのである。

 

でも今は違う。誰もがほとんどコストをかけることなく他の都道府県でどのような地名があるかを知ることができる。市町村合併で新地名を付けたいと思っても、他県に同じ地名があれば、後発組がその名を採用することは難しい。

 

それに今では多くの人が外来語を知ることも理解することもできる。参考にできる情報が増えれば、それを応用してみたいと思うのが人情である。しかも外来語のほうがかっこいいとされている。地名に取り入れてみたいと考える人が現れるのは当然だ。

 

他県の動向を知ることができれば、そこに競争も生まれよう。あそこの県がユニークな名前をつけた、じゃあ、うちも負けずに!というわけだ。

 

参照できる基準が増えたことが現在の珍地名ブームの背景にあると思う(キラキラネームも同様のメカニズムだろう)。

 

地名を軽視しているから、変な地名をつけるわけではない。他とは違う立派な名前をつけたいと気張るからこそ、意図せずして変な地名が生まれるのだ。他を知ってしまった以上、生半可な名前はつけたくない。地域を愛しているからこその暴走なのだ。

 

知らなければよかったのかもしれない。知らなければ王道の名前をつけたのかもしれない。知らぬが仏とはよく言ったものである(ちょっと意味は違うが)。

 

mtautumn.hatenablog.com

 

あまりに地域の歴史や実情にそぐわない名前をつけると、滑稽に思われたり、どこの地域を指してるかわからなくなり利便性が損なわれたりするから、地名の命名は慎重に行うべきだ。

 

とはいえ、他に地域の動向を知れば知るほど、うちも負けずに!という気持ちは何やらとても人間的で微笑ましくもある。いつの時代だって、縁起や個性は大事にされたハズだ。かつてであれば、それが当時の先進地域であった中国の地名や故事、「ホド」のように人間の生命力をイメージさせるものだったのであり、他県や他国のことを知ることができるようになった今日では、それが欧米の言語や新奇性を狙ったものになったのではなかろうか。

 

他と識別する、いや、他と識別したいという熱い想いが地名命名の根源的なエネルギーなのだろう。そして時として、愛は悲劇的な結末を迎えるのである。

 

 

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地図を使う?それとも使わない?ー大沼一雄『地図のない旅なんて!』ー

どのような旅を理想とするか。大いに意見がわれそうだ。

 

まず大きく、事前に綿密に計画して旅に臨むか、それとも計画を立てずに気の向くままにその場その場で行き先を決めるかでわかれよう。

 

事前計画派はそのほうが訪れるべき価値ある場所を効率的に回れると言うだろう。事前にしっかり調べておけば、後で、あ〜、あそこも行っておけばよかった〜みたいな後悔は避けられる。

 

他方、気の向くまま派であれば、当てもなくふらふらしたほうが偶然の出会いやガイドブックに載っていない自分なりの発見や気づきを得られると言うだろう。ガイドブックやネットで手垢のついている場所に行くなんておもしろくないじゃんって人もいるかもしれない。

 

事前にどこまで計画を立てたり資料を読んだりして準備をするか、はたまた極力そういった手順は省いて現地での直感を頼るか、意見は分かれよう。

 

今回読んだ『地図のない旅なんて!』の著者、大沼一雄氏はどちらかといえば前者のタイプと思われる。

 

地図のない旅なんて!―地図を読んで旅を二倍楽しむ

地図のない旅なんて!―地図を読んで旅を二倍楽しむ

 

 著書のタイトルのとおり、本書は地図を利用した旅の楽しさをお薦めする本である。

 

大沼氏は旅行会社のパンフレットに従う旅行は「"作られた観光地"というのは、既製服みたいなもので新鮮味がなく、私はあまり利用しないと」として、自分なりの楽しみ方で旅行することを薦めている(3頁)。

 

では、行き当たりばったりの旅がいいかといえばそうでもない。筆者は旅先は地図で見つけ、そして行き先が見つかったら、「徹底的に地図を読む。」

 

宿は現地に着いてから決めたり、乗り物は使わずひたすら歩いたほうが思いがけない出会いがあったり、素晴らしい被写体に出会ったりするとは言うが(4ー5頁)、「実り多い旅には周到な準備が必要だ」と強調する(Part One 第3章)。

 

むしろ、ガイドブックなんかよりも市町村史で情報収集をするというのだから、よほどガチの事前準備派といえそうだ。

 

市町村史まで読むかは別にして、確かに地図は旅の入り口としてちょうどいいかもしれない。

 

地図記号を覚えたりと、読み解くには一定の基礎知識は必要だが、地図には何がどこにあるとか、地形がどうだとか、膨大な情報が詰め込まれている一方で、写真や映像があるわけではないから、そこがどういった質感でとか、どういった色彩でといったとりわけ触覚や視覚面の情報については、実際に現地に行ってみないことにはわからない(もっとも今ではグーグルマップのストリートビューがあるから、地図からそこの映像を入手できてしまうのだが。筆者もそんな時代が来ようとは執筆時には想像できなかったろう)。

 

ガイドブックだとキレイな写真が掲載されているから、現地に着いたときにガイドブックの情報の裏付け確認みたいな気分になってしまう面がある。その点地図は適度に行ってみなければ分からない情報を残してくれる。その絶妙なサジ加減が地図の魅力かもしれない。

 

筆者は小中学校の頃から地図に親しみ、地理の先生だっというから、同じレベルでわれわれ一般人が地図を読むのは、能力的にも時間的にも難しいだろう。市町村史まで読んでいたら、旅に出るまでに何年もかかりそうだ。

 

とはいえ、あえて地図を広げてみれば、リアルの書店に行って、自分の目的の本を買おうとしたら、類書や話題の新刊が平積みされていて、さらに読みたい本が見つかるといった感じで、派生的に行きたい場所や興味深い場所が見つかるかもしれない。

 

地図というのは活字の小説のようなものだ。活字の本には画像やイラストといった想像の手助けをしてくれる材料が一部を除けば基本的にない。だが、それゆえに活字の描写をもとに自分の頭の中で自由にイメージできる。活字を原作にしたドラマや映画が自分の想像していた世界よりもだいぶ貧弱でがっかりしたなんて経験は誰しも持っているのではなかろうか。それだけ人間の想像力とは素晴らしい。

 

実際に訪れた土地が地図でイメージした世界よりも良かった悪かった、同じだった、かなり違ってたなんて思いを馳せながら、現地を探訪するのはきっと味わい深いことだろう。

 

地図といっても、最近はグーグルマップだからストリートビューは見れるし、ルート検索までしてくれる。だが、旅とは非日常なのだから、普段使いのグーグルマップは一旦脇に置いて、古典的な地図の旅を楽しむなんてのも一興だ。

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